計画的偶発性理論とキャリアアンカー理論:2つの都市のライオンが教えてくれたこと

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ジュネーヴ大学院の卒業までもう少し。

ジュネーヴとリヨンで過ごした2年間の大学院生活はなかなかに大変でしたが、同時に面白い経験もたくさんすることができました(決して優等生…とはいきませんでしたが苦笑)。

さらに一時帰国中にはかつて暮らしたシンガポールに立ち寄ってみたり、修論執筆中にはリサーチ名目でパリに立ち寄ってみたり。学生でないとできないような贅沢な時間の使い方も実践することができました。

その過程で改めて、「シンガポール」も「リヨン」も、第一志望の進路ではなかったことを思い出しました。

詳しくは後述しますが、いずれも正直「それ以外にほぼ選択肢がない」状態で選んだ場所で、それらの選択肢が自分の目の前にあったのも本当に偶然の産物でした。けれど、そこには予想もしていなかった出会いや学びが確かにあり…。

そしてそんな偶然の積み重ねが、さらに予想しないかたちで今結実しようとしています。

シンガポールもリヨンも「ライオンに縁がある都市(しかも、どちらもシンボル的な意味合いのライオン)」なんですよね。ここにも運命感じちゃいます。

そんな偶然が連れてきてくれるチャンスをキャリアに活かしましょう!という理論として有名なのが「計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)」

この理論は最近日本でも耳にする機会が増えてきましたね。きっと日本人の考え方にも合うのでしょう。

筆者もただ「面白いなー」と思ってみていたのですが、そのうち理論の説明として引かれる具体例や使われ方に違和感を抱くようになりました。

何というか、「キャリアは偶然に決まるから明確なキャリアプランは不要」とか「あのときの畑違いの部署異動が今の成長に繋がって感謝」みたいな、割と受け身のキャリア的なストーリーが多いような…?

この記事ではそんな違和感をきっかけに、自分の経験を交えながら、キャリア偶発性理論の本来の意味と他の理論との関係性、そしてそれをどう活かしていけるかを考えてみたいと思います。

目次

牛に引かれて善光寺参り…じゃなくて、ライオンに引かれてキャリア形成!?

いま振り返ってみても、「なぜあの都市に住んでいたのか」と問われると少し説明に困るところがあります。

前述のとおり、どちらも第一志望ではなく「他の選択肢がなかったからそこにした」…そんな、少し投げやりにも見える経緯で決まった場所だったのですから。

なんで私がシンガポールに?ロンドンとかパリじゃなくて?

最初はシンガポール。海外駐在をずっと狙っていた筆者。英語もフランス語も勉強しながら自己申告書に「国際業務希望」「海外勤務希望」と書き続けてはや10年近く…。

IELTSもOA7.0超えたし、フランス語も頑張ってDELF B2まで取った。さあ来い!海外駐在!目指せヨーロッパ!と思ったら、降りてきたのは…全く考えもしなかったシンガポールでした。他の選択肢はなし。ここで断ったら多分海外駐在の打診自体が消滅する。じゃあ受けるしかないじゃない。

後で同僚がロンドン駐在になったと聞いたときにはショックでしたねぇ…。これまで頑張っていたのは何だったんだろう、なんて思ったものです。

さらに悪いことに赴任することになった時期はコロナ禍。東南アジア独特の暑さと監視社会のダブルパンチに着任早々さらされることに…。

とうとう「シンガポール」「嫌い」で検索するとトップでヒットする記事になってしまいました…笑

でも決してネガティブなことばかりじゃなかったんです。これが。

文化のるつぼだったり、先進的な取り組みだったり、東南アジア全体の政治とか経済とか、シンガポール人の気質とか…数えきれない学びがありました。そんな環境で仕事をすることが楽しくて。もちろん大変なこともたくさんあったし、腹の立つことは数えきれず。
最初は何の興味もなかった東南アジアが、実体を持って自分の中に入ってきた期間でした。

結局シンガポールは人生最大級に思い入れのある場所に。本帰国のときな精神が崩壊しかけました笑

業務上では、国際プロジェクトや政策リサーチの能力とともに、東南アジアという地域の専門性を身に着けされてくれたのもシンガポールでしたし、途上国の経験という意味でも意味深い経験がたくさんできたのも国際機関キャリアには非常に重要でした。

リヨン?ビジネススクール?専門外なんですけど?

次はリヨン。

ジュネーヴの大学院を選んだ理由の一つが「パリ政治学院が交換留学先に入っているから!」(どんだけパリ行きたいんだろう自分…)だったのですが、IHEID学生のレベル高すぎです。要求水準も高すぎです。

交換留学に必要なGPAは満たしたものの、結局パリ政治学院には届かず…。シンガポール国立大学にも希望を出しましたが、(おそらく住んでいたことが影響して)こちらも届かず…。

そんな落胆のなかでしたが、まさかの交換留学先の二次募集が。そこで見つけたのがEMLyon Business Schoolでした。ジュネーヴには国際協力に興味のある学生が多いのでビジネススクールはあまり魅力的に映らなかったのか、奇跡的に枠が空いていたのです。

EMLyon Business Schoolはたまたま筆者が交換留学に行く年度に学生を送り出すことになった新しいパートナー校でした。パリ政治学院を除くとフランスにある協定校はここしかありません。

昨年度であればパリ政治学院に振られた時点でフランス行きの選択肢はなくなっていたことを考えると、タイミングが良すぎるというか…。

正直リヨンはジュネーヴから2時間くらいで行けて近いので日帰りで1回くらい行ったかな?くらいしか知りませんし、しかもビジネススクール。営利企業で働いたこともこの先働く気もないので、完全にノーマークです。

でもこれを逃すとフランスに住むのは無理かもしれない。パリまでTGVで2時間で近いし、ジュネーヴにもすぐに戻れる(忘れ物をしても大丈夫、何かあったらIHEIDに駆け込める)。フランス語も学習できる環境。国際機関就職にも役立つかもしれない…。しかもパリ政治学院と同じグランゼコール。
よし応募してみよう。これも「ご縁」だ。

そこまで練らずに書いた数行の志望動機はあっさりと審査を通り、無事筆者はリヨンに受け入れられることになったのでした…。

でも、その「ご縁」で飛び込んだ先には、思ってもみなかった世界が広がっていました。

まず、筆者が交換留学に行くタイミングでちょうどキャンパスが郊外から市街地中心部に戻ってきました。そのため新しくて綺麗で通いやすい校舎で授業を受けることができました。

さらに、イノベーションや気候変動対策など政策分野と繋がる授業がたくさんあったことも予想外でした。おそらくビジネススクールに関心があれば知っていて当然なのでしょうが、はなから社会科学しか頭にない筆者のこと。コースカタログを読んでみてあらびっくり。興味の湧く授業がたくさん。

折しも修論執筆を開始していた時期。指導教官から勧められた「気候変動に分野を絞ってみる」という提案と、過去にシンガポールで行った環境系のリサーチがここで繋がってきました。

しかもフランス語の授業も無料で受けられるし、フランス生活もパリに比べて安価に楽しめるし、リヨンの料理は美味しいし…。

ここで筆者はフランス語でサバイバルする能力や気候変動関連の専門性を得ることになり、それがなんと修論のトピックに繋がっていくことになるのでした…。

GPAも4.0/4.0だったし、ビジネススクールって意外と面白い!という発見もありました。

ライオンでつながる2つの都市

シンガポールとリヨン。方や東南アジア、方やヨーロッパ、と地理的にかなり離れており、関連性は皆無な2つの都市ですが、どちらの都市にも「ライオン」が象徴的に存在しています。象徴的というのがポイントで、本当にライオンがいたという話ではなく、いずれも神話や歴史に由来している点が面白いところ。

まずシンガポールといえば、言わずと知れた「マーライオン」。伝説に登場する「ライオンの町(Singapura)」が国名の由来になっており、その象徴として半魚半獣の像があちこちに置かれています。まさに国そのものが「ライオン」に導かれているといっても過言ではありません。

そしてリヨン。こちらは名前自体が「獅子(ライオン)」に由来しており、市章にも勇ましい獅子の姿が描かれています。街の中心部を歩けば、ライオンの彫像やモチーフが随所に現れ、「リヨンのライオン」としての存在感を放っています。ビジネススクールの入り口にも赤いライオン像が置かれていました。

二つの都市が両方ともライオンの縁がある点にはかなり前から気づいていたものの、筆者がキャリアの転換点として意識したのはごく最近のことです。

偶然という点が、線になる

こうして、なんとなく選んだように見えた「場所」や「機会」が、気づけば現在のキャリアに直結している。

それは東南アジアや途上国の経験を地域専門性としてカバーレターに書けるようになったり、環境系のスタートアップやNGOからお声がかかるようになったり…と、目に見える形で表れてきました。

「そのときには意味がわからなかった偶然が、あとから線になってつながる」。
それこそが、この章で伝えたかったことです。

偶然を、偶然のままにしない。あとから意味を持たせ、そこに納得を与える。

そんな体験をした筆者が「キャリア偶発性理論」に触れるのは必然だったのかもしれません。

計画的偶発性理論とは何か

前のセクションで紹介した筆者の体験を裏付けるのが、冒頭で紹介した計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory)です。

キャリアは「偶然」によって形づくられる

この理論は、それまで主流だった「希望するキャリアを叶えるためには綿密な計画が重要」という考え方に対するアンチテーゼから出発したもので、アメリカのキャリア心理学者**ジョン・D・クランボルツ(John D. Krumboltz)**が提唱しました。

クランボルツによれば、現代のキャリアはこれまで以上に様々な要素に影響を受けており、予測不能な出来事、つまり偶然の出会いや出来事(happenstance)に大きく左右されるといいます。

しかし重要なのは、単に偶然を待ち望むのではなくそれを計画的に引き起こすという点です。 この一見矛盾するような考え方が、「計画された偶発性」という理論名に込められています。

計画的偶発性理論における「計画的(Planned)」とは、偶然を「待つ」ことではなく、偶然を「引き寄せるために行動し続けること」を意味しています。クランボルツらによれば、この理論はあくまで「行動を通じた自己生成的な偶然の活用」であり、受動的に流されることとは一線を画します。

意味のある「偶然」を生み出す5つのスキル

クランボルツは、論文で、そのような偶発的イベントを引き寄せるために必要な5つのスキルを挙げています。

  1. 好奇心(Curiosity):新しい学びや経験への興味を持つ
  2. 持続性(Persistence):失敗や困難に直面してもあきらめずに続ける
  3. 柔軟性(Flexibility):状況の変化に適応する
  4. 楽観性(Optimism):望ましい結果が生まれると信じる
  5. リスクテイク(Risk-taking):不確実な状況でも一歩踏み出す勇気を持つ

この5つを実践している人は、偶然を偶然のまま終わらせず、それを意味あるキャリアの糧に変えていくことができるのです。

参考文献
  • Krumboltz, John D. “The happenstance learning theory.” Journal of career assessment 17.2 (2009): 135-154.
  • Mitchell, K. E., Al Levin, S., & Krumboltz, J. D. (1999). Planned happenstance: Constructing unexpected career opportunities. Journal of counseling & Development77(2), 115-124.

「偶然」は起こせる

ここで説明したことを、試しに筆者に起きたキャリアの転換点に当てはめてみましょう。

  1. 好奇心(Curiosity):訪れたことのない土地や学んだことのないトピックに興味を持ってトライしてみた。英語以外にフランス語や中国語にもトライしていた。
  2. 持続性(Persistence):上手くいかないことがあっても、アプローチを変えてトライし続けた。同じ部署希望を何年も出し続けた。
  3. 柔軟性(Flexibility):自分の目標は持ちつつ、目の前の業務に全力で取り組んだ。海外に行った後も、ヨーロッパ志向やパリ志向を一旦脇に置いて、その場で学べることに集中した。
  4. 楽観性(Optimism):現在やっていることはいつか何かしらに役立つ、失敗しても大丈夫、最悪日本に帰ればいいし、と思いながら取り組んだ。
  5. リスクテイク(Risk-taking):世の中で定石と言われるルートと違っても、自分の直感を信じて前に進む選択をした。

このように振り返ってみると、見事にこの理論に必要なスキルを満たしてきたことが分かります。「偶然」が降ってくること自体はコントロールできなくても、降ってきたときにキャッチする準備はできていた、という感じでしょうか。

それぞれの「偶然」に対応する準備と言えそうな要素は語学力・資金力・人間関係など多岐にわたりますが、ここで注目すべきは以下のスタンス。

  • 興味のある分野について行動を重ねた(例:興味のあることを勉強する、選ばれやすい場所に行く努力をする)
  • 興味のある分野の軸を持ち続けた(例:海外、ヨーロッパ、国際に関係しそうなことはとりあえずやってみる)

そう考えると、「偶然」を掴んだ側面とは別に、「特定の方向に向かってそれに対応する行動を繰り返していた」という側面も見えてきます。

目標に向かう力:キャリアアンカー理論

この特定の方向を見定めてそれに向かって行動していく…という側面には、背景に時間を経てもあまり変わらない「自分はこのように生きたい」という信念が隠れており、これはいわゆる「キャリアアンカー理論」に通じるものがあります。

キャリアアンカー理論について

キャリアアンカー理論は、アメリカの心理学者エドガー・シャイン(Edgar Schein)によって提唱された理論であり、個人がキャリア選択において何を重視しているか…つまり「譲れない価値観(アンカー)」を明らかにするための枠組みです。

キャリアの転機や中期に差し掛かった時期(一般的に30〜40代)において、自分はどのような判断基準を持っているかを自覚することが、今後の意思決定や方向性の決定に重要であると説かれています。

シャインは、以下の8つのアンカーを定義しています。

  1. 専門・職能別能力(Technical/Functional Competence):専門分野での高い能力を活かし、技術や知識に特化した仕事を追求したい。
  2. 全般管理能力(General Managerial Competence):組織を動かすリーダーシップやマネジメント能力に価値を置き、管理職や経営層を志向する。
  3. 自立・独立(Autonomy/Independence):他者に縛られずに、自分のペースややり方で仕事を進めたい。
  4. 安定・保障(Security/Stability):雇用の安定や生活の保障を重視し、公務員や大企業など安定した環境を好む。
  5. 起業家的創造性(Entrepreneurial Creativity): 自らビジネスを立ち上げたり、新しい仕組みや価値を創造することに魅力を感じる。
  6. 奉仕・社会貢献(Service/Dedication to a Cause):社会や他者の役に立つことに働く意義を見出し、NPOや福祉分野などを志向する。
  7. 純粋な挑戦(Pure Challenge):困難な課題の克服や未知の領域への挑戦そのものに価値を感じる。
  8. ライフスタイル(Lifestyle):仕事とプライベートの調和や、住む場所・働き方の自由度を優先する。

人はこのうち1つ、または複数に強い価値を見出しており、それが無意識のうちにも職業選択やキャリア形成における「羅針盤」となっているという考え方です。

ここで注目したいのが、これらはあくまで「価値観」であること。「警察官になるぞ!」や「東大に入るぞ!」みたいな「具体的な目標」ではない点を認識しておく必要があります。

参考文献
  • Schein, Edgar H., and John Van Maanen. “Career anchors and job/role planning.” Organizational dynamics 45.3 (2016): 165-173.

キャリアアンカー理論と計画的偶発性理論

一見すると、ここで紹介した「軸を持つこと」と「偶然を活かすこと」は矛盾するように見えるかもしれません。
たしかに確固たる信念を持っているとあらぬ方向から来た偶然を掴もうとする可能性は減りそうですよね。

しかし、筆者は両者はむしろ相互補完関係にあると考えています。

まずは「キャリアアンカー」→「計画的偶発性」
「キャリアアンカー」は根本にある価値観なので、それに従って行動を繰り返していくことで、意味のある偶然を起こすための「5つのスキル」を活用しやすくなります。自分の価値観に沿うものに反応して行動したり、逆に価値観に合わないものがはっきりするので、知識や経験が蓄積されていきます。その知識や経験がやがて「偶然」を生み出すきっかけになるのです。

そして逆に「計画的偶発性」→「キャリアアンカー」
偶然の出会いや出来事を活かすには、それの偶然の性質を見定め、選択して受け入れる柔軟性が必要です。その見定めと選択のために必要なのが「キャリアアンカー」であり「内的な軸」です。「内的な軸」があれば行動がその方向に無意識に向くので、やってきた偶然が「ただの偶然」か「自分が引き寄せた意味のある偶然」かは自然に明らかになっていき、それを「キャリアアンカー」に結び付けることで「偶然」を「本物のチャンス」に変えることができるようになります。

つまり、偶然を活かす力と、意思決定の軸は共存できる。この2つがそろって初めて、キャリアは豊かに、そして納得感のあるものになるのです。言い換えれば、軸を持っている人ほど、偶然をキャリア形成に活かしやすいということです。

具体的にどう作用するのか?筆者のキャリアを例に

筆者自身のキャリアを振り返ると、偶然と軸の両方が作用してきたことがわかります。

たとえば、シンガポールやリヨンでの生活は第一志望ではなかったとはいえ、語学力や分野への関心など、「偶然に備える準備」があったからこそチャンスを活かすことができました。これらの偶然は筆者の力ではコントロールできませんが、それらの偶然を掴むための準備は常に行っていました。

筆者の価値観をキャリアアンカーの要素に当てはめると以下の3つが強そう。

  • 世界で通用する専門性が欲しい!→専門・職能別能力
  • 誰かにキャリアをコントロールされるのは嫌!→自立・独立
  • もっと広く誰かに役立つ仕事がしたい→奉仕・社会貢献

これを前提に図式化すると、次のようになります。

キャリアアンカー

  • 世界に通じる専門性
  • 自律したキャリア
  • 社会貢献ができる仕事

行動

  • 多言語学習
  • 国際部門への異動希望
  • 公務員就職
  • 大学院留学

計画された偶然が発生!

  • 海外駐在のオファー
  • フランスへの交換留学

さらにこうとも言えます。

偶然が発生!→

  • 希望とはずれるけど海外駐在のオファーを受ける?
  • 専門外でもフランスへの交換留学をする?
  • 日本企業からお誘いが来た!

キャリアアンカーに注目→

  • 国際的な専門性に繋がるのか?
  • キャリアを自律的に歩めるようになるか?
  • 社会貢献ができる仕事に結びつくか?

選んでつかみ取る

  • シンガポールに行ってみる
  • リヨンに行ってみる
  • 日本企業を選ばない

キャリアアンカー理論と計画的偶発性理論は、どちらか一方では不完全です。偶然を活かすだけでは漂流してしまうし、軸にこだわりすぎれば柔軟性を失う。

だからこそ、行動し続ける柔軟性と、自分の価値観を見失わない軸、この両方を持ち続けることが、キャリア形成において最も重要なのだと思います。

日本での誤用と歪んだ「偶発性」信仰

ここまでみてきて分かるのは、「計画的偶発性」理論というのはただ単に柔軟性を称賛するような理論では決してないこと。むしろ「方向性を見定めることを前提としてそのうえで柔軟性を持つ」という絶妙なバランス感の必要性を強調する、面白い反面ちょっと厳しい理論であることが見えてきます。

そのうえで近年日本で「計画的偶発性理論」が注目されるようになった背景や、紹介されている使われ方とその危うさなどについて考察していきます。

日本でこの理論が注目されるようになった背景

近年、日本でも「計画的偶発性理論」が注目を集めています。
背景としてよく引き合いに出されるのが以下のような社会情勢の変化です。

  • 雇用制度・市場の変化:「これが正解」というキャリアパスが消失し、個人の能力が問われるようになった。
  • 不確実性の顕在化:コロナ禍や技術革新など「計画通りにいかない」ことが増えた。

確かにこのような状況では「キャリア計画を立てても上手くいくとは限らないから、計画をあまり立てずに偶然を味方につけてその時々に適した生き方をしていこう」という発想になるのは良く分かります。「人間万事塞翁が馬」のような日本人のマインドセットにも繋がる感じがして安心しますよね。

しかし、その紹介のされ方や使われ方において、筆者は強い懸念を抱いています。

「偶然を活かす」=「計画性の放棄」?

まず気になるのが、「予期せぬ偶然」に注目する一方で「個人の価値観」を軽視しているという点。

これは理論の本質である「行動によって偶然を引き寄せる」という要素を完全に無視しており、そこに自分の価値観や意思が介在していません。これは「ただチャンスが降ってくるのを待っていれば良い」というスタンスに繋がりかねず、非常に危うい読み替えです。

次に「予期せぬ偶然」への対応方法に意識を向けすぎているということ。

確かに「状況に合わせて柔軟に考えを変化させ選択肢を選び取っていくこと」自体は間違っていませんが、状況にフォーカスしすぎると、自分の価値観と関係のない行動をとってしまう可能性に繋がります。「これからは国際化の時代だから英語を勉強しよう!(でも顧客は国内がメイン)」「これからはITの時代だからプログラミングを勉強しよう!(でも社内にそんな部署はない)」のような短絡的な自己啓発で時間を無駄にしたり不要な遠回りをすることになりかねません。

いずれの場合も、あくまで本人の行動をトリガーとしていることがこの理論の肝ですが、一方で偶発性を理由にキャリア設計を社員任せにしてしまうことは、育成責任を放棄していることにも繋がりかねない点も考えておく必要があるでしょう。

その事例、適切ですか?生存者バイアスとの線引き

またその結果として、「計画的偶発性」の事例として語られるエピソードにも要注意。「偶然の出会い」「思わぬ異動」が美談として消費されがちで、「あの偶然があったから今の私がいる!」的なストーリーになっていることが多い点も見過ごせません。

それはしばしば「計画的偶発性理論」によって正当化されますが、実態としては「偶然に備えていたから活かせた」「降ってきた偶然に対応する素質をたまたま持っていただけ」だったかもしれません。

先ほどのセクションで「偶然」には「本当にたまたま降ってきた偶然」と「自分が引き寄せた偶然」があることを説明しました。この視点で事例を捉えるとちょっと違った景色が見えてきます。

CASE 1

・子供の頃の海外旅行がきっかけで海外に興味を持ち、それが海外就職に繋がった。

→子供の頃の海外旅行には「本人の価値観」が介在するとは考えにくい。また海外就職が「本人の価値観」の発露なのか、何か別のきっかけだったのかが示されていない。よって、このエピソードだけをもって「計画的偶発性」といえるかは判断がつかない。

CASE 2

・経理職を希望していたが、配属されたのはなんと営業部!でもそこで営業の仕事に興味を持つことになり、営業のエキスパートとして活躍するようになった。

→営業部配属には「本人の価値観」が介在していない。さらに「営業で活躍できなかった可能性の想定」が抜け落ちている。そのためこのエピソードは計画的偶発性というよりも生存者バイアスの事例と言った方が適切。

CASE 3

・学生は最初、心理学を専攻していたが、大学で偶然出会った教授の影響でコンピュータサイエンスに興味を持つようになった。その後、コンピュータに関する授業をいくつか受けてみたところ、強い関心を持ち、そちらの道に進むことを決意。結果的にIT業界でキャリアを築くことになった。

→学生の好奇心に基づく探求行動の結果、大学で教授と話すという偶然が発生。これは学生が自分で起こしに行った偶然といえるため、計画的偶発性の事例として適切。

このように、一見同じ「偶然」であっても、「なぜ起きたのか」「どのようなものだったのか」を細かく見ていくと異なる意味付けを与えることができます。

問題なのは、CASE 2のように、エピソードの性質によっては、偶然を活かせなかった人、行動したけれど運に恵まれなかった人の存在は見えないままになってしまうこと。そしてその「見えない失敗者たち」への配慮なき物語が、知らず知らずのうちに自己責任論(=偶然を活かせないのは当人に責任がある)を強化してしまっているのです。

ちなみにCASE 3は計画的偶発性理論の論文で示されている事例です。

方便に使われる「偶然性」の危うさ

さらに問題なのが、組織側が人材育成の場面でこの「計画的偶発性」を実践するための方法として、単純に「偶然を与えれば人が育つ」と勘違いしているケースが散見されること。特に「ジョブローテーション=偶発性の活用」と称しているようなケースは危険です。

計画的偶発性はあくまで本人のスキルとそれに基づく行動によって引き起こされる偶然を指しているので、必ずしも「組織都合の異動や転勤辞令」が計画的偶発性理論に基づく人材育成に該当するとは限りません。

ここでいう「偶然」は本人の意思で引き寄せるものであり、「第三者が起こしてやろうとして起きる偶然」は本人の行動を起点にしていない限り「ただの偶然」以上の意味合いを持たないことがほとんどであることを認識すべきです。

つまりこういうこと。

  • 本人がたってから希望していた分野に関われる部署への異動辞令を出す。(本人の行動が介在している)
  • 本人の志向に合うちょっと難しいタスクを与える(本人のスキルがつなげたチャンスとして解釈できる)
  • 人員の関係で社員の配置転換をする。(本人の行動が介在していない)
  • 社員に偶然の意味付けを強制する。(偶然をどう捉えるかは本人が決めること)

いずれの場合も、あくまで本人の行動をトリガーとしていることがこの理論の肝。

繰り返しになりますが、計画的偶発性理論を本当に活かすなら、「行動できた人」の裏にある「行動できなかった人」や、「偶然をつかめなかった人」の存在を常に意識する必要があります。

成功譚だけを集めて理論を語るのではなく、偶発性の影の側面にも目を向ける。そうして初めて、偶然と行動の関係性に対する真の理解と、他者への想像力を持った理論の応用が可能になるのではないでしょうか。

日本で「計画的偶発性理論」をそのまま当てはめるのが危険な理由

また、制度的な観点からも重要な問題があります。それはこの理論が前提とする雇用制度です。

計画的偶発性理論が提唱された背景には、欧米型の「ジョブ型雇用」制度があります。この制度では、個人が自らのキャリアパスを自律的に選択し、専門性を深めていくことが前提とされています。つまり、個人の意思と行動によって「偶然」を引き寄せ、それを活かす余地が構造的に与えられているのです。

一方、日本の雇用制度は「メンバーシップ型」が主流であり、新卒一括採用、年功序列、終身雇用、そして強い人事異動権を特徴としています。社員はゼネラリストとして様々な部署を経験させられることが多く、本人の意志とは無関係にキャリアが決まっていく傾向が強いのです。

それぞれ表面的には「キャリアはままならない」という点は似ていますが、ジョブ型では「競争が多くて希望が叶いづらい」、メンバーシップ型では「組織が強くて自分で選べる要素が少ない」という根本的な違いがあります。

日本型雇用のような環境では、「偶然を自ら引き寄せて活かす」という計画的偶発性理論の前提が成立しづらく、むしろ「会社によって与えられた偶然(異動や転勤)」を無理やりポジティブに解釈することで正当化するという歪んだ受け止め方が広がってしまう危険性があります。

ジョブローテーションのような本人の意思に基づかない強制的な配置転換を計画的偶発性の意味付けに使ってしまうあたりに、この歪みが表れています。

つまり、日本型雇用のもとでこの理論を応用しようとする際には、まず「個人がどこまでキャリアに主導権を持てるか」という根本的な問いに向き合う必要があるのです。

まとめると、この理論は「社員の選択肢の少ない日本型雇用をポジティブに捉えましょう」というものではなく、むしろ「社員にキャリアの主導権を握ってもらい、組織はそれを最大限支援することに徹しましょう」という話なので、本来的に計画的偶発性理論は日本型雇用にはなじまないと言って差し支えないかもしれませんね。

理論は使い方次第:個人・組織としての活かし方

前のセクションでは「計画的偶発性理論」が日本型雇用と必ずしも相性が良いわけではない、ということを考察しました。しかしだからと言って、「計画された偶発性を個人の力で引き寄せるのは無理」なわけでもありませんし、「計画的偶発性理論」が人材育成に使えないわけでもありません。

ここでは個人・組織として「計画的偶発性理論」にどう向き合えば良いか(「計画的偶発性理論」と「日本型雇用」の接続)を考えてみたいと思います。

個人としてどう活かすか?

まずは個人としてどのように計画的に偶然を引き寄せるか、を考えてみます。

改めて、計画的偶発性理論では以下の5つのスキルが重要だとされています。

  1. 好奇心(Curiosity)
  2. 持続性(Persistence)
  3. 柔軟性(Flexibility)
  4. 楽観性(Optimism)
  5. 冒険心(Risk-taking)

これらは、単なる「偶然を受け入れるための姿勢」ではなく、むしろ「偶然を引き寄せ、活かすための行動」に関わるスキルです。まずはこれらのスキルを発揮し、興味のあることや取り組みたいことを見つけること。

そして、これらを活かすためにはこれらを向ける方向が必要です。その方向のヒントを与えてくれるのがキャリアアンカー理論。「偶然に流される」のではなく「自分の軸を知っているからこそ、偶然を意味ある方向に導ける」という考え方が重要になります。

キャリアアンカー理論で言うアンカーは以下の8つでしたね。

  1. 専門・職能別能力(Technical/Functional Competence)
  2. 全般管理能力(General Managerial Competence)
  3. 自立・独立(Autonomy/Independence)
  4. 安定・保障(Security/Stability)
  5. 起業家的創造性(Entrepreneurial Creativity)
  6. 奉仕・社会貢献(Service/Dedication to a Cause)
  7. 純粋な挑戦(Pure Challenge)
  8. ライフスタイル(Lifestyle)

つまり、自分のキャリアアンカー(価値観や能力、欲求など)を理解したうえで、アンテナを張り、準備を怠らず、リスクをとって一歩踏み出す。そんな日々の姿勢こそが偶発性を味方にする力になります。

これまでの「役職や知識を積み上げて具体的なキャリアゴールを目指す」というプランではなく、「行動や機会を積み上げて自分のアンカーに合う場所にたどり着く」というイメージでしょうか。

今いるキャリアの状況によっても異なるかもしれませんが、これまで自分がしてきた選択を貫く価値観を分析してみたり、これまでに起きた偶然がどのように起こったのかを考えてみると糸口が見つかるかもしれません。そうして方向性が定まったら、あとは行動を積み重ねていくだけ。そして偶然が降ってきたら、それが方向性と一致しているか、いずれ役立ちそうかを判断し、自分の責任で選択する。

この繰り返しで自分のアンカーが輝く場所に近づいていけると思います。

組織としてどう活かすか?

組織の側にもできることはあります。というより、組織こそがこの理論を「便利なストーリー」として消費するのではなく、真に意味あるかたちで取り入れるべきです。

日本型雇用の特色は強力な人事権なので、それを手放す判断をしない限り「どのような偶然をもたらすか(もしくは、もたらさないか)」は常に組織側に留保されていることを認識することがスタート。そのうえで適時適切にサポートを行い、社員の自主性や個々のキャリア志向を歪めたり潰したりしないことが重要です。

具体的には、ジョブローテーションのような強制的配置転換に頼るのではなく、社員が自ら異動を希望できる社内FA(フリーエージェント)制度や、副業・兼業、越境研修など、多様なキャリア支援制度を整え、社員が「計画的偶発性理論」にある5つのスキルを発揮できる土壌づくりを行う必要があります。

ジョブローテーションも全面的に悪いわけではありません。かなり難しいですが、社員の自発的な意思に基づく場合や社員側に拒否権があるような場合には有用です。

組織がこうした制度整備に本気で取り組むことで、社員が「自分の偶発性」に正直になり、キャリアに主体的になれる環境が生まれていくのです。

最近は部門別採用を行う企業が現れたり副業解禁が増えたりと少しずつ個人のキャリア志向を叶えやすい状況になりつつありますね。一方で個人もさらに主体的なキャリア形成が求められるようになるという厳しさもあります。

まとめ

これまでの話をまとめると、以下のような感じになります。

本当は優しくない計画的偶発性理論

「偶然に身を任せるだけでキャリアがうまくいく」
「キャリアプランは不要」

そんな誤解を生みがちなこの理論は、実際には極めて能動的な姿勢と不断の努力を求めるもの。無条件に現状を肯定してくれたり、何かを運命づけてくれるような都合の良い理論ではありません。正直、他人に人生のかじ取りを任せがちだった日本人にとってはかなり耳が痛い要素も含んでいると思います。

好奇心を持ち続け、リスクをとって一歩を踏み出すこと。簡単なようでいて難しいこの行動だけが、結局は偶発性を味方に変えていくのです。

強い人事権は「キャリアアンカー」を歪め「計画的偶発性」を遠ざける

組織が人事異動をコントロールしすぎると、個人のキャリアアンカー(価値観や志向)は抑圧され、偶発性を活かすチャンスも奪われがちです。そのためそのような偶然を活かすには、計画的偶発性理論をただ理解するだけでは不十分です(特に日本型雇用の下では)。

計画的偶発性はあくまで個人の意志と選択を前提とする理論。制度としての運用には慎重さが求められます。

求められるのはキャリアを進める覚悟と行動

偶然を活かすには、まず準備が要ります。
そして、自分の軸を理解したうえで、そこに向かって行動し続けること。

たとえ予定通りにいかなくても、「なぜこの道を歩いているのか」を問い直し、意味づけし直せる強さが必要です。他人にどう思われようと、自分の与えた意味を信じ続ける強さも重要です。

「偶然」が導くキャリアに意味を与えるのは自分自身

どんなに魅力的な偶然も、それを活かすかどうかは自分次第。そして、それがキャリアとして積み上がるかどうかも、自らの選択と意味づけにかかっています。

筆者がシンガポールとリヨンに「ライオン」という共通性を見出したのも、自分のアンカーを見つけ、これからも行動し続けるためのアクションの一部と位置付けることができそうですね。

自分のキャリアの物語を誰かが書いた「成功のテンプレート」に委ねるのではなく、自分の言葉で、自分の行動で書き続けていく。そんな生き方が、計画的偶発性理論の真髄なのかもしれません。

以上です。

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