駐在と留学。
思い返してみれば、いわゆる「本帰国」も二度目です。
一度目はシンガポールから。二度目はジュネーヴから。
シンガポールから帰国したときは、非常に多くの感情が込み上げてきました。そのときの気持ちについては、過去の記事でも書いたとおりです。

一方で、ジュネーヴから帰国したときは少し様子が違いました。
もちろん一抹の寂しさはありましたが、シンガポールのときのような強い喪失感や感情の揺れは不思議と感じない。
同じ海外生活の終わりなのに、なぜここまで受け止め方が違ったのか?
この記事では、自分なりにその理由を振り返ってみたいと思います。
シンガポール駐在からの帰国時の喪失感
シンガポールから帰国したときにかなりの喪失感を抱えていた筆者。
今でも当時の記事を読み返すことがありますが、自分でも少し驚くほどの重症っぷりです。
もちろん、シンガポールが完璧な国だと思っていたわけではありません。
暑すぎて嫌になったことは数知れず。ヨーロッパへの憧れを拗らせていた時期もありました。
そんな状況なら本帰国(しかもヨーロッパ行き決定済)で気分が逆に高揚しそうなものですが、現実は全く逆で。
自分が思っていた以上に、シンガポールでの生活を気に入っていたことに気づいたのです。当時は「シンガポールロス」という言葉を使っていましたね。
何か楽しみにしていたドラマが終わってしまったような、自分の中にぽっかりと穴が開いてしまったような、そんな感覚。
慣れ親しんだ場所を離れる。しかも、おそらく戻ることは叶わない。
このような状況は初めてだったので、この感情をどのように処理したものかと悩みました。
キャリアの一部としてちゃんと残ってはいるのですが、キャリアの棚卸をするたびに、どうしてもあのときの喪失感も一緒に思い出してしまいます。
今回の留学帰りは何かが違う?
ところが、今回のジュネーヴ留学からの帰国時は少し様子が違いました。
もちろん寂しさがなかったわけではありませんし、卒業式が終わり、友人たちと別れてスイスを離れるときにはやはり複雑な気持ちになりました。
ジュネーヴ生活は大変ではありましたが、何だかんだ言って楽しい側面もありましたし。
それに、国際機関の予算・人員削減の嵐が吹き荒れる現在の状況を考えると、今後ジュネーヴに戻れる可能性は、ビザ要件が厳格化されたシンガポールよりも、もっと低いでしょう。
それでも、シンガポールのときのような喪失感や強烈な感情の動きは、なぜかありませんでした。
同じ本帰国なのに、何が違うのか。
帰国後しばらく考えてみた結果、いくつか理由が思い当たりました。
思いつく要因の分析
良い部分も悪い部分も見えたから
留学前の私は、ヨーロッパに対して少なからず憧れを抱いていました。
東京在住時やシンガポール駐在中もしつこくフランス語を学んでいましたし、ヨーロッパの旅番組を観たり、関連するイベントにも積極的に参加。いつかヨーロッパで暮らしてみたいと思っていました。
実際にジュネーヴへ留学し、交換留学ではリヨンに住み、フランスを始めとするヨーロッパをじっくりと旅することができ、憧れはかなりの割合叶えることができました。
レマン湖を散歩したり、スイスのチョコレートを堪能したり、ルーヴル美術館やオルセー美術館に通い詰めたり。
これまでは頑張ってもせいぜい1週間しか滞在できなかった場所に数週間単位で居られたことは、とても良い思い出になりました。
ただ同時に、生活の大変さも味わいました。
35度越えの熱波をエアコン無しで過ごさないといけなかったり、日本からの郵便がなかなか届かなかったり、物価が高すぎて生活が立ち行かなくなりそうになったり、冬が暗くて長かったり、役所や銀行では英語が通じず現地語(フランス語)で頑張らないと行けなくなったり…。
憧れだけではやっていけない現実を見ることで、シンガポールとはまた違う海外生活のイメージを、よりリアルに持つことができました。
現実が見えたという点ではシンガポールも同じですが、ヨーロッパには憧れを抱いていた分だけ、現実を知って客観的になれたのかもしれません。
体験が内面化されたから
もう一つの仮説が、体験の内容というか質が違うから。
端的に言えば、駐在生活は地域理解やキャリア形成に役立つのに対して、留学では自分自身の考え方や価値観に変化をもたらした、ということかもしれません。
留学の成果としてまず挙げられる要素といえば、学位や語学力。履歴書や職務経歴書に書ける内容という意味では、シンガポール駐在時代と同様に今後のキャリアに活かせる要素だと思います。
ですが、キャリアについて立ち止まって考えたり、新しい可能性が見える、というのは留学ならではです。
実際、国際機関やヨーロッパでの生活に対する見方も変わりましたし、自分がどのような仕事をしたいのか、どのような環境で生きていきたいのかについても、以前より具体的に考えられるようになりました。
就職(転職)活動を通じて自分の強みや弱みとも向き合うことになったことも、目の前の仕事をこなしていくことが求められる駐在との大きな違いといえるでしょう。
決して楽しいことばかりではありませんでしたが、それらは駐在とは違うかたちで血肉になっているように感じます。
再現性があるから
さらにもうひとつ考えられるのが、留学の「再現性」。
駐在の場合、(特に日系の組織だと)時期も、期間も、そして行き先すらも、自分でコントロールできることは多くないでしょう。もちろんその後の展開によっては、旅行で訪れたり、仕事で出張したりすることはできるでしょうが、「駐在員として暮らす」という経験をもう一度自分の意思だけで再現することは、現実的にはかなり難しいと思います。
もし本気で叶えたいなら、その組織で出世して別のポジションで駐在を狙う、駐在が確約されているポジションに転職するといった、相応の時間の投資やリスクを覚悟する必要があります。
一方、留学であれば比較的容易に自力で似た環境を再現することができます。
今回は修士課程への留学でしたが、例えば、PhDという選択肢もありますし、研究プロジェクトへの参加や短期プログラム、あるいは研究者として何らかの形で関わる道も考えられます。
さらに、ヨーロッパでは、日本とは違って学び直しのハードルが比較的低く、二つ目の修士課程や学士課程に進む人もいます。実際、同級生には二つ目の修士課程という学生(いずれもヨーロッパ出身)も複数名いました。
もちろん、過去に履修したプログラムと同じ仲間と学ぶことは二度とありませんし、費用面のリスクやキャリアへの影響を考えることは必要です。しかし、「海外で学ぶ」「研究を通じて世界とつながる」という経験そのものは、自分の努力次第で再び実現できる可能性があります。
留学生活は一区切りを迎えましたが、「もう終わってしまった」という感覚はあまりありませんでした。むしろ、今後も何らかの形でこの世界と関わっていくことができるかもしれない。その可能性が残されていることが、帰国時の喪失感を和らげてくれたのではないかと思っています。
継続的なコネクションができたから
最後に、継続的なコネクションができたことも理由の一つだと思います。
留学は卒業したら終わり、というものではありません。
実際、帰国した今でも大学からは定期的にメールマガジンが届きますし、卒業生向けのイベントやネットワークの案内も送られてきます。LinkedInではクラスメイトや教授陣ともつながったままで、お互いの近況が自然と目に入りますし、メッセージのやり取りをすることもあります。
このように、学生としての身分が終わっても、大学とのつながりは完全に途切れたわけではありません。
これは仕事上の関係がメインとなる駐在とは大きく異なる点でした。筆者の場合、駐在時代の人間関係ももちろん続いていますが、どうしてもフォーマルな感じになってしまう点は否めません…。
留学が今も続いているような感覚があるからこそ、何か大切なものを失ってしまったという気持ちは、以前ほど強くならなかったのかもしれません。
まとめ
こうやって振り返ると、同じ海外経験であっても駐在と留学でかなり性質が違うなと改めて感じました。
キャリアへの影響という意味ではおそらく駐在の方が留学よりも強いはずですが、留学は帰国後も何だかんだ言って続いているような感覚があり、人生そのものへの影響という意味では、もしかしたら駐在よりも大きいのかもしれません。
もちろん、これはあくまで筆者自身のケースです。
滞在経験は人それぞれなので、帰国時の感じ方もまた人それぞれでしょう。
ただ、もし今まさに帰国後の喪失感に苦しんでいる方がいるなら、「その経験は本当に終わってしまったのか」という視点で考えてみると、少し違った景色が見えるかもしれません。
今回は割と短いですが、以上です。
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