社会人留学生活って楽しい?辛い?勉強や日常生活で感じること【30代後半社会人留学生の現実】

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筆者は30代後半になってずっとやってみたかったヨーロッパでの社会人留学に踏み出しました。

以前、年齢にスポットを当てて社会人留学で直面するデメリットをご紹介しましたが、この記事では留学開始から約1年半が経過した現在、学生生活やプライベート面で筆者が個人的に感じていること(良い面と悪い面の両方)をご紹介したいと思います。

遅めの大学院留学生活のリアルな感覚を知りたい方の参考になれば幸いです。

大学院留学はやっぱり20代で経験するのがベターかも…でもこの年齢でも得られるものがいっぱいあります。

この記事では年齢や職業経験を問わない修士課程(つまり若い人が多い)への留学を取り扱っています。MBAやPhDだとまた感覚は異なると思いますが、ある程度は参考になるかも。

目次

日々の学習生活で感じること

単純に疲れやすくなる

大学院留学はリーディングや課題の連続です。大学院留学をしてみて、周りの学生がかなり遅い時間までリーディングに取り組んだり、精力的に課外活動に取り組んだりしているのを近くから見てきました。

それこそ深夜2時や3時まで難しい学術論文を読んだり、授業の傍らで国際人権関係のイベントに参加したり、TEDスピーチに登壇したり、様々な学生団体に参加したり…

学術活動以外にもヨーロッパを旅行しまくっている人もかなり多いです。バイタリティーが凄い。

一方で自分はと言うと、(文化的な違いは考慮しなくても)まったく同じノリで学生生活に臨むのはちょっと厳しいものがあります。

「24時間遊べますか?」って感じ…。

例えばリーディングのスピードはどうしても遅くなりますし、読み慣れていない学術論文を一度に読める量は明らかに他の学生よりも少ないと感じます。課外活動に積極的に取り組みたい気持ちはあるけれど、授業の準備だけで精一杯…。

たまに深夜まで勉強すると翌日のコンディションにしっかり影響します。

また授業を受けた後の消耗もそこそこ激しく、ディスクリプション主体の授業をひとつ受けると割とヘトヘト。半日くらいは体力とメンタルを回復する時間が必要になります。

スポーツクラスがちょっと辛い

EMリヨンビジネススクールではスポーツクラスが開講されています。

交換留学生は参加必須ではありませんが、運動習慣が完全に失われてしまうと健康面に影響が出そうなので、無料のジム代わりにと思い参加しています。筆者の選択はバドミントン。

スポーツクラスは技術指導もしっかりあって非常に面白い反面、トレーニングメニューや授業スタイルは当たり前ですが完全に20代向け。ダッシュがメニューに入っているとちょっと頑張る必要があります。

経験者と思しき人も一定数おり、試合になるとかなりの頻度で強めのスマッシュが飛んできます。

少しは手加減してくれてもいいじゃん…!

さらにゲーム数も若くて体力のある人向けの設定。前半はある程度立ち回れるのですが、後半になるとダレてきて動きが鈍くなってくるのがはっきり分かります(サーブが相手コートに入らなくなるのが合図)。

トレーニング内容は自分で調整できる(激しいメニューのときは傍で見ているだけでOK)ので無理なく参加できていますし授業自体は非常に面白いので良いのですが、あまりに試合に勝てないのはちょっとストレスがたまります。

グループワークでの役割は「リーダー」か「空気」になりがち

個人で学術論文に挑むだけであればまだストレスは少ないのですが、グループワークでは年齢や経験についてメンバーとギャップがあるので、ポジショニングを考えなければいけません。

筆者のこれまでの経験だと、大抵の場合、これまでの経験を活かしてメンバーを引っ張るリーダー的なポジションになるか、一歩引いてチームメンバーを見守る役に徹するかのどちらかに収まります。

ただこれまでに留学経験や国際的なメンバーを率いた経験が乏しいのでそのあたりの調整がまだ上手くできず、リーダー役になると全て自分でやってしまったり(そしてフリーライダーが発生して対応に追われる)、逆に見守り役に徹すると言われたことだけをやるようになってしまったりと、上手く仕事量をコントロールすることは非常に難しいと感じます。

チームメンバーに逐一指示を出すような役割や、個々のメンバーの相談役のような役割になってしまったことが何度もあります。

最近はある程度調整できるようになってきたのですが、まだ模索は続いています。

シェアできる経験がとにかく多い

ある程度長い職業経験があると、自分が学習したことがない領域であっても、過去の経験から何かしらの要素を抜き出してアウトプットに活かせるようになってきます。

例えばビジネス系の授業であれば、これまでに見聞きした日本の事例を紹介したり、行政機関のベストプラクティスから日本のマネジメント方式に関する知見を共有したり、といったことができるようになります。

さらに業務に関係する経験以外にも、これまでに旅行で訪れた地域での体験であったり、海外の友人から聞いた話なども非常に良いリソースとして利用することが可能になります。

教授からのフィードバックを通じて、これまでの一見関係のない経験の数々が一つの線になっていくような、いわゆるConnecting the dotsを体験することも多いです。

これは経験が少ないとできない体験でしょう。

ただ一方周囲の学生のフィードバックについては既に知っている内容が多くなるため、ちょっと物足りないときもあります。

無難な落としどころを考えてしまう

職業生活が長いとシェアできる経験が多い反面、学術的な目的をひたすら追求するような姿勢に立ち返るのが少し難しいと感じています。

例えば筆者の場合、「完全を目指すよりまず終わらせよ」のロジックで素早く仕事をある程度のクオリティーで終わらせることに慣れています。これは仕事には一定のゴールがあらかじめ設定されているからですね。

でも、学術活動には「これくらいで良いか」というタイプのゴールは基本的にありません。最初のアウトプットの時点で満足のいくクオリティーである必要があります。

つまり、仕事をしていたときと同じノリでプレゼンやら課題に取り組もうとすると、学術的な意味では中途半端な成果物が出来上がってしまいます。

仕事ならこれで上司に提出してフィードバックを受けながら完成品を仕上げますが、大学院の課題ではそうはいかないですよね。

「課題としての完成度」と「自分がこれで良いと思うレベル」に乖離がある場合が結構多いです。

長年の職業生活で染みついたクセは直すのが非常に難しいことを実感しています…。

楽しむ覚悟が決まっている

職業生活を経てやっぱり良いなと思えることの一つが、最初から目的やスタンスがある程度定まっていること。

どんなことがあってもある程度学生生活をエンジョイすることができます。

例えば周囲の学生が、教授の評価方法であったり授業の建て付けであったりその他様々なことに不平不満を漏らしている場面に良く遭遇しますが、個人的には「まあこんなもんかな~」「仕方ないかな~」と受け入れて自分にできることにフォーカスすることができています。

これは、若い学生の多くが入試で燃え尽きていたり周囲の支援で学校に通っていたりして主体性を失ってしまっている一方で、自分のような社会人留学生は自分のお金や目的意識を持って勉学に臨んでいるので、根本がブレることがなくどんな状況でも「楽しむ覚悟」が決まっているのだと思います。

これまでに自己啓発書などから得た自分の心を守るためのノウハウの蓄積も、留学生活を乗り越える際の助けになっています。

状況からダイレクトに影響を受けることの少ないメンタル状態は、精神衛生を保つのに非常に重要な要素です。

プライベート面で感じること

病気にかかりやすくなる。しかも長引く

疲れやすくなる以外に感じるのが、気候の変化に弱くなり病気にかかりやすくなっていること。免疫力が弱っているのかなかなか治りづらく感じることもあります。

ヨーロッパでは日本のように簡単に医者にかかれるような制度にはなっておらず、年齢が高くなると医療保険の保険料も高くなるのも悩みの種です。

薬局で薬を買うだけでも、外国語で症状を説明して、買うべき薬を選んで、高額な費用を支払って…まで、考えることは山のようにあります。日本の薬局で総合風邪薬を買うときと比較すると精神的&金銭的な負担が段違いです。

病気にならないように自衛するのも簡単ではありません。

風邪を引いたときの絶望感が日本とは段違いです。

他人の目を気にしなくなった

海外生活で良いことが、日本に居たときほど周囲の視線を気にしなくても良くなったこと。周囲の人々の無言のメッセージも読もうとしなくて良くなったので、かなり気が楽。

「あれが失礼これが失礼って言われない」「分からないことは普通に聞いて良い」って最高です。

教授との関係も日本の職場のようなガチガチの上下関係ではないので、少し難しいお願いや日本では図々しいと思われそうなことでも気軽に相談することができます。

自分の考えを自由に表明できる感覚も、息の詰まりそうな日本と比較すると「息がしやすい環境」と言えます。

年齢の違いも年齢制限のある何かを購入する際を除き意識する必要はないため、より「自分」として生きられている感覚があります。

自分の価値観がより明確になってきた

他人の価値観からある程度自由になったことで、自分が関心のある分野が明確になったり、自分が人生で大切にしている価値観が明らかになってきた感覚があります。

同時に日本の学校や職場で刷り込まれていた価値観の異常性に直面して、いかに自分が抑圧されていたかを認識することで少し腹を立てたりもしています。笑

日本との関わりが以前と比べて薄くなったことで、自分の持つ資本や自由という概念に対する考え方もだいぶ変わりましたね。

シンガポール、スイス、フランスでの生活を経て、日本に囚われずに生活したり資産を防衛したりする選択肢が見えてきました。ファイブフラッグ理論の実践も遠くない…かも?

キャリア関連で考えること

キャリアサービスの大部分が対象外に見える

大学院留学生(退職組)としてどうしても気になるのが、卒業後のキャリア。

大学院で受けられるキャリアサービスは色々ありますが、残念ながらそれらのほぼ全てが新卒向け。既にある程度職歴のある学生でも当然サービスは受けられるものの、メインターゲットからは外れているため何となく的外れな感じがするのが否めません。

特に就活イベントは場違い感がすごいです。

ここで問題になるのが日本型雇用の特殊性。ある程度職歴があるといっても欧米(もっと言うと日本以外)で職歴を積んだ場合とはスキルの付き方やキャリア観が全く異なるため、海外式に適応するというステップがまず必要になります。

そのあたりを考慮したサポートを得るのは、留学生が多い学校でなければ難しいのが現実です。

その点留学生の多いIHEIDでは充実している感覚があります。個別の相談サポートでもちゃんとこれまでの職歴や東アジア特有の問題点を考えてくれました。

周囲とのキャリア観のギャップ

自分だけキャリアステップが異なるということは、周囲とは就職を含むキャリア構築戦略が異なることを意味します。

つまり、多くの新卒学生がインターンシップ探しに勤しんでいるのに対し、自分は役職者としてのポジションを狙いに行く必要があったりします。当然戦略も異なるため、準備することもかなり違います。

でも日本人の性として、何となく周囲の動向は気になるもの…。

自分には合わないようなエントリーレベルのポジションがちょっと気になってきたり、年齢意外の属性が自分と近い学生がインターンに採用されたのを見聞きするとちょっと焦ってしまったり。

特に最近はリンクトインのようにキャリア構築の過程が可視化されるツールもあるので、情報との付き合い方を考えないと精神的にまいってしまいます。海外では特にこの傾向が顕著。

このあたりは「自分は自分!」というスタンスを確立することでどうにかなりそうです。

まとめ

この記事では30代後半から留学生活を開始した筆者が感じたことを書き綴ってみました。

後悔はしていませんが、ある程度職業経験がある人向けの修士課程にしても良かったかな…なんて考えたりもします(特にビジネススクールでの交換留学を経験してから考えが強まりました)。

とはいえ年齢をあまり気にしない環境で若者と同じように学習するという機会を得られたことで、自分自身が色々な面で若返ったような気分になることがあるのもまた事実。

このまま修論執筆まで突っ走りたいと思います。

以上です。

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