イスタンブールといえば見どころがたくさんある街として世界的に有名。
アヤソフィアやトプカプ宮殿などの定番の観光スポットから…
お得に回れるスポットまでよりどりみどり。
定番の観光スポットを周るのももちろん楽しいですが、イスタンブールには外国人観光客にはあまり注目されないけれど散歩するだけでも楽しい街がいっぱい!
なんてことのない風景が素敵な場所を巡りました。
今回は旧市街編。以下のエリアを訪問しました。
- 預言者ムハンマドの友人が眠るイスラム教の聖地エユップ
- 多宗教の歴史を秘めたインスタ映えの街バラットとフェネル
- 征服者メフメト2世の歴史を語るファティとイスラム教超保守派の街チャルシャンバ
- オスマン帝国とビザンツ帝国の歴史が混ざり合うゼイレックモスク周辺
各エリアをざっくり地図上に示すとこんな感じです。
新市街とアジア側のマイナー地区巡りについてはこちらの記事で。オスマン帝国後期の建築群やクズグンジュックなどの街を訪問しました。
エユップ(Eyüp)
まずはイスラム教の巡礼地であり神聖な雰囲気の漂うエユップ。筆者はこの雰囲気が気に入って滞在中数回訪れました。アクセスはトラム5号線か金角湾ラインでどうぞ。
本記事におけるエユップはエユップ・スルタン・モスク周辺の地域を指します(地域名としてのエユップはかなり広いです)。
イスラム教の聖地と平和な門前町を歩く
アイユーブのトルコ語なまりであるエユップは、イスラム教の預言者ムハンマドの友人であったアイユーブ・アル・アンサーリーの墓がこの地で見つかったことから、イスラム教徒の重要な巡礼地になっています。
オスマン帝国時代には新しいスルタンが即位する際にここで聖剣の授与が行われていたという意味でも非常に重要な場所で、ピエールロティのチャイハーネのある丘のたもとには有名な人物の霊廟やご利益を受けたい人のお墓もいっぱい。非イスラム教徒にとってはなかなか異様な雰囲気に映る場所です。
イスラム教徒向けの土産屋が軒を連ねる通りもあり、こちらは日本でいう門前町のような雰囲気でほっこりします。善光寺をイメージすると分かりやすいかも。
エユップ・スルタン・モスク前の広場では夕方になると近所の子供が遊んでいます。本当に平和な雰囲気でした。
エユップ・スルタン・モスクを起点にしてロープウェイ駅に向かう通りと船着き場に向かう通りは、それぞれコーランや数珠といったイスラム教関連グッズが並ぶ屋台街になっているほか、エユップ・スルタン・モスク周辺にはちょっとしたレストラン街があります。
観光地と比べると価格はやや控えめなので、ローカルの人々に混じってお土産を物色したり食事したりするのもおすすめです。
信仰の中心エユップ・スルタン・モスク Eyüp Sultan Camii
コンスタンティノープルを陥落させた征服王メフメト2世により1459年に建立された、このエリアの中心にして今も変わらない信仰を集めるモスク。
その名のとおりアイユーブを祀っており、モスクにはアイユーブの霊廟が併設されています。こちらのモスクは他の有名なモスクと比較するとやや小ぶりですが、優美な装飾と厳かな雰囲気が一線を画しています。
歴代のスルタンが聖剣の授与を行っていたのを想像すると、さらに感じ方が変わりますね。
これまでもいくつかモスクに入りましたが、こちらは空気が違いました。
モスクを訪問したら、併設されているアイユーブの霊廟も是非!細かい装飾や建築は必見です。
なおアイユーブの霊廟にはイスラム教徒でなくても入場できますが、熱心に祈りをささげる人が多いので邪魔しないよう服装や行動には最大限の配慮を。
こちらの霊廟は建物の外から窓越しに祈る人もちらほらいたので、この場所がいかに特別かが分かります。他にもオスマン帝国時代の著名な人物の霊廟もたくさんあるので、歴史を知っていれば非常に面白い場所であることは想像に難くありません。
ボスポラス海峡を望む絶景の丘 Pierre Loti Tepesi Turistik Tesisleri
一通りエユップ・スルタン・モスクの関連施設と周辺を見終わってから向かったのが、ピエール・ロティのチャイハーネ。19世紀末に活躍したフランス人作家ピエール・ロティのお気に入りの場所だったそうです。
ロープウェイに乗ればすぐに頂上まで行けますが、時間は既に夕方。夕景を眺めるためにロープウェイ乗り場には長い列ができていました。そこで諦めて丘を上ることに。
歩いて15分ほどの短い山登り。
この山登りは体力的にはそこまできつくはないのですが、問題は墓地の中をひたすら進むことになること。右も左もお墓だらけなのでそもそもあまり気持ちの良い道ではありませんが、暗くなってくるとさらに不気味…。
夕暮れ時にお墓ばかりの山道を一人で上っていくのはかなり心細かったです…。
頂上に着くと人がいっぱい。それだけでかなり安心しました…
ちょうど夕飯時だったのでこちらのカフェPierre Lotiでディナー。もっと観光地プライスで高いかと思いましたが、ローカル向けの観光地だからか旧市街のレストランと比較すると割安だと感じました。
食べている間テーブルの下にずっと猫がいて困っていたのですが、店員さんが察してソースの入れ物から水を飛ばして追い払ってくれました。あれって水鉄砲みたいに使えるんですね…
帰りはさすがにまたお墓の中を歩く気にはなれず、ロープウェイを使いました。丘の上のロープウェイ乗り場からの景観も素晴らしかったです。
ロープウェイはイスタンブールカードが使えて便利です。いざ地上に帰還!
その後はたまたま出発のタイミングが合った金角湾ラインでアジア側に帰りました。
海風に吹かれてイスタンブールの夜景を眺めながら帰路につく…なんという贅沢。ユスキュダルまでの便だったのでそのままユスキュダルまで行き、その後マルマライに乗り換えてカドゥキョイまで戻りました。
商店街エリアは日が落ちると店じまいを始めるので、観光スポットを巡りたいなら夕方までがベストだと感じました。夕日を見たら市街地に戻った方が良いです。
また特別保守的な雰囲気や東アジア人の見た目を気にするような視線は感じませんでしたが、土地柄を考えるとなるべく露出の少ない服装で訪問したほうがベターだと思います。
バラット(Balat)とフェネル(Fener)
続いては近年人気急上昇中のバラットとフェネル。いずれも宗教関連の歴史を持つエリアですが、おしゃれな街として若者を中心に話題になっています。二つの地区は隣接しているので一緒に回ることもできます。
金角湾に面しているため、エユップと同様にトラム5号線と金角湾ラインの利用が便利です。
バラット:インスタ映えスポットでユダヤ教徒の足跡をたどる
カラフルな家が立ち並び、最近はインスタ映えスポットとして人気のバラット。おしゃれなカフェも続々オープンしており散策する人々が絶えません。
このエリアにユダヤ人が住むようになったのは、もともとは15世紀後半にスペインの異端尋問から逃れてきたユダヤ人やイスラム教徒に対しバヤズィト2世が市民権を与えたのがはじまり。その後バラットはユダヤ人居住区として発展しました。
その後色々あって現在もここに住んでいるユダヤ人はあまり多くありませんが、今でもシナゴーグがあったりヘブライ文字が見られたりとユニークな雰囲気の場所です。
イスタンブールで一番古いシナゴーグはこのエリアにあります(観光客には公開されていません)。
こちらの記事でも紹介したBalat Çavuş Hamamıも近くにあるので、観光ついでにひと風呂浴びてもいいかも?
この地区にはそれ以外にも、ブルガリア正教会の礼拝所であり教会建築としては珍しく鉄材を使用した聖スティーブン正教会Sveti Stefan Kilisesi (Demir Kilise)もあるので、合わせて訪問してみても面白いかもしれません。
フェネル:キリスト教の聖地と多宗教の街
バラットがユダヤ人居住区だったのとは対照的に、こちらのフェネル地区はギリシャ人居住区だった場所。
この地区には正教会で筆頭格を有するコンスタンティノープル総主教庁The Ecumenical Patriarchateがあり、今も信仰の中心です。
コンスタンティノープル総主教庁は一般向けに公開されており、手荷物検査を受ければ誰でも入ることができます。
このエリアには他にもギリシャ正教会Virgin Mary Greek Orthodox Churchがある他、急な坂道を上っていくとセリム1世のモスクであるヤヴズ・セリム・モスクYavuz Sultan Selim Camiiや後述のチャルシャンバ地区にたどり着きます。
これら2つのエリアですが、観光地化されている街区はカフェやレストランが立ち並び賑やかな一方、そうでない街区は朽ち果てた家屋がそのままになっていたり薄暗い場所があったりと、ちょっと危ない雰囲気。
日が落ちると人気(ひとけ)がなくなるので、夕方までに退散したほうが良さそう。
ファティ(Fatih)とチャルシャンバ(Çarşamba)
いわゆる旧市街を内包するファティ行政区の名前の元になったファティモスクのある一帯にも、世界遺産ゼイレックモスクやカーリエモスクなど、オスマン帝国やビザンツ帝国の歴史を感じられるスポットが感じられる魅力的なスポットがいっぱいあり、歩き甲斐があります。
ファティモスク一帯のエリアは旧市街の高台の上にあり、周辺にはメトロやトラムヴァイの駅はありません。そのため路線バスが最も便利な交通機関ということになりますが、もし体力があれば前述のバラットやフェネルから坂を上るという手もあります。
征服者メフメト2世の名を冠するファティモスクと霊廟
この一帯の中心的存在が、コンスタンティノープルの創始者であるビザンツ帝国のコンスタンティヌス1世によって建造された聖使徒教会Church of the Holy Apostlesを取り壊し、15世紀半ばに建造されたファティモスクFatih Camii。
「ファティ」は「征服者」を意味する言葉で、コンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世のことを指します。
メフメト2世といえば有名なのはオスマン艦隊の山越え!奇抜なことを考えますよね。
当時のモスクは1766年に起きた地震の被害を受けたため現存しておらず、現在のモスクは後に再建されたもの。
モスク本体も天井が高く大規模なのですが、手前の広場や付属の施設を合わせるとかなりの敷地面積になります。ここまで来ると観光客はほぼ皆無かつ宗教色の強いエリアも近いので、露出の少ない服装で訪問しましょう。
ファティモスク前の広場にあるトイレは無料かつ綺麗。洋式トイレもあります。
敷地内にはメフメト2世その人の霊廟があります。霊廟なので慎みを忘れずに、赤と金のコントラストが美しい内部を堪能しましょう。
モスクから伸びるFatih Cd.は両側に商店が立ち並ぶ賑やかな通り。ローカル向けのお店ばかりですが、中にはお土産になりそうな物もたくさんあります。グランドバザールなどと比較するとゆっくり見られるのでおすすめ。
日用品を売るお店以外に、香水やナッツ類を売るお店もあります。
ちなみにファティモスクと後述のヤヴズ・セリム・モスクのあるエリアの間にある通りYavuz Selim Cd.には、いくつかカフェやトルコデザートを扱うお店があります。
筆者のお気に入りはトルコスイーツの記事でも紹介したBaltepe Pastanesi。
日本人にとっては見慣れないデザートが並びますが、激甘のものはそこまでなく値段も非常にお手頃。気になるものがあったら迷わずトライ!
壮麗王スレイマン1世の父セリム1世のモスクと霊廟
ファティモスクから少し北に行くと、オスマン帝国最盛期のスルタンである壮麗王スレイマン1世が父冷酷王セリム1世のために建てたヤヴズ・セリム・モスクYavuz Sultan Selim Camiiがあります。
セリム1世は逆らう人物を容赦なく処刑したという非常に厳しい人物像で有名な人物。「冷酷王」の名前もそこから来ています。
モスク本体も素敵ですが、裏には金角湾を一望できるテラスがあるので休憩にもってこい。
敷地内にはセリム1世の霊廟があります。棺の上に黄色いカフタン(上衣)が置かれていますが、これは彼自身の遺言(後述)によるものだそうです。
スルタン・セリム1世がエジプト遠征から戻ったとき、イブン・ケマルという学者が乗る馬の足元から泥が跳ね、スルタン・セリム1世のカフタンにかかってしまった。イブニ・ケマルは恥じ入ったが、スルタン・セリム1世は次のように言ったという。「ご心配には及びません。学者が乗る馬からならば、その足元から跳ねた泥は私にとって装飾であり、名誉なものです。この泥のついたカフタンを、私が死んだ後、私の眠る墓の上に掛けるよう遺言いたしましょう。」
出典:http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20120218_120212.html
セリム1世の治世は1512年から1520年までなので、500年近く前のカフタンが今も保存されているということになります。凄いですね。
保守系イスラム教徒が集う街チャルシャンバ
ヤヴズ・セリム・モスクから少し行ったところにあるのがチャルシャンバÇarşamba。イスマイル・アー・モスクİsmailağa Camiiを中心に広がる地区です。
イスラム教徒が多い国にしては宗教色が控えめなトルコですが、このエリアは別。
ここチャルシャンバは保守的なイスラム教徒が集まっており、男性はターバン・ジュッバ(長い外套)・シャルワール(ゆったりとしたズボン)の姿が基本。女性は色々ですが、他の地域でも見かける髪だけ隠したスタイルから、チャドル(目以外を隠した黒一色の服)を着ている人も。
ヨーロッパのような雰囲気の漂うイスタンブールではなかなか見かけない光景です。
タイムスリップしたか異世界に来たような不思議な気分になります。
周辺にはイスラム教徒向けのお店がいっぱい。例えば男性用の服飾用品屋には他の地域ではお目にかかることのないグッズがいろいろ。イスラム教関連の書籍を扱うお店もたくさんあります。
敬虔なイスラム教徒が集う街だけあり、金曜日の午後や礼拝の時間には営業しないお店も結構あるので注意。
この日は近くのピデ屋さんmevlana pide iskenderでディナー。
周辺にはいくつか食堂があるものの、ローカル感に強めのイスラム色が加わって個人的にちょっとハードルが高く感じましたが、こちらは店員さんもフレンドリーで観光客が入りやすい雰囲気でした。
ピデも良いですが、デザートやスープなど他のメニューも美味しかったです。
場所はこちら。Google Mapの位置の通りを挟んで反対側にあります。
この地区に何度か通った結果このエリアに住んでいる人と仲良くなり、観光地を案内してもらえることに。
その際少し遠方の観光地に向かうことになったのですが、その際の移動手段が何とヒッチハイク!しかも結構すんなり乗せてもらえるのでビックリしました。
トルコ語が分からないので確実ではありませんが、イスラム教色が強めの人を狙って声をかけていたようだったので、トルコのイスラム教コミュニティーの中に何か暗黙の了解のようなものがあるのかもしれません。
ローカルの活気が味わえる超穴場の水曜市
水曜日にはチャルシャンバからファティモスクの一帯にかけて市場が開かれます。営業時間は大体朝の8時から20時頃までで、食料品から雑貨まで様々な商品が所狭しと並びます。
チャルシャンバ(Çarşamba)はトルコ語で「水曜日」という意味だったりします。
観光客向けではないためお土産探しにはちょっと向きませんが、ローカルの雰囲気を味わうには最高の機会です!
この市場はグランドバザールなどとは異なり価格が書かれているので安心感があります。(ローカルの人々が更に交渉しているかは不明)
日用品を揃えるには良いかも!
世界遺産ゼイレックモスクとビザンツ帝国時代の史跡たち
チャルシャンバ地区からファティモスク周辺まで戻り、そこからさらに東に進むと、世界遺産にも登録されているビザンツ帝国時代の修道院をモスクに転用したゼイレックモスクやヴァレンス水道橋などの歴史スポットがあるエリアにたどり着きます。
チャルシャンバ地区の目抜き通りを北西方向に進むと、こちらの記事でも紹介したビザンツ帝国時代最高峰のモザイクが残るカーリエ・モスク Kariye Camiiやテオドシウスの城砦があります。
ビザンツ帝国時代の歴史スポットもいろいろ
さてここまではオスマン帝国時代に関連したスポットをご紹介してきましたが、もちろんその前のビザンツ帝国にまつわる場所もたくさんあります。
その中でも特に重要なのがゼイレックモスクMolla Zeyrek Camii。
ビザンツ帝国時代のパントクラトール修道院がコンスタンティノープル陥落後にモスクに転用された施設で、以後ずっとモスクとして利用されてきました。こちらは世界遺産に登録されています。
モスクの入り口に緑色の重い幕が掛けられていたので入るのがためらわれましたが、普通に入れました。
ビザンツ帝国のモザイク画が見えるよう絨毯の一部がめくられています。親切。
ゼイレックモスクの前にはカフェがあり、テラスからの眺めが絶景です。反対側の丘の上に見えるのがスレイマニエモスク。左側の後方にはガラタ塔も見えます!
ちなみにそこから少し南に進むと、こちらの記事でも紹介した、イスタンブールに残る最も重要なローマ時代の遺構の一つでかつてコンスタンティノープルに水を供給していた巨大な水道橋であるヴァレンス水道橋Bozdoğan Kemeri (Valens Su Kemeri)があります。
ヴァレンス水道橋の場所はこちら。上には行けないので脇から眺めるだけ。
またそのすぐ近くの公園には馬にまたがったメフメト2世の彫像があります。この構図はファティ行政区のロゴにもなっていますね。
さらにさらに南に進んでいくと、住宅街の真ん中にローマ時代の円柱であるマルキアヌスの円柱Column of Marcianがあります。訪問時には知らなかったので、次回行ってみたい!
場所はこちら。
この日のディナーはヴァレンス水道橋に近くあり、割と込み合っていたŞırdancı Mehmetにしました。有名人の写真が大量に飾られていたので、もしかしたら有名店なのかも。
注文したのはスパイシーなアダナケバブ。スパイスは感じますがそこまで辛くなく美味しかったです。
お会計はメインとドリンク(アイラン)で400トルコリラいかないくらいだった記憶があります。メゼ(前菜)3品はなんと無料サービスでした。
注文していないメゼが出てきたときは、ぼったくりかと思って店員さんに確認してしまいました。肉だけしか注文していないのに野菜もたっぷり食べられるなんて最高!
食後のチャイもサービスという太っ腹っぷり。トルコの懐の深さが素敵です。
場所はこちら。
まとめ
今回は外国人観光客があまり行かないイスタンブールのマイナー地区をいくつかご紹介しました。
短期滞在だとこういったマイナーなエリアに足を延ばすのはちょっと微妙かもしれませんが、観光地とは違うイスタンブールの側面を見たい方、長期滞在の方や何度目かのイスタンブールの方はぜひ訪問してみてください!
以上です。
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