学問領域を文系・理系に分ける意味とその弊害について考察してみた【やっぱりおかしい】

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現代日本人のDNAに深く刻み込まれた「文系」「理系」のタイプ分け。

将来的に就きたい仕事から逆算して決めた人もいれば、先生に言われて何となく決めた、という人もいるのではないでしょうか。

かくいう筆者はバリバリの私大文系(という自己認識)ですが、海外で大学生をやっていると、必ずしもこの区分けに従わない考え方に触れたり、この区分けを前提に考えるのは良くないかもしれないなと思うことがあります。

自分が「文系」「理系」のどちらかに属するという発想って、自分の可能性をかなり狭めてしまうのでは…?と思いました。

今回の記事はそんな「文系」「理系」について考えた内容です。

目次

文系・理系の起源と定義

進路のための選択

日本では基本的に高校で「文系」か「理系」を選択しますよね(最近は文理融合もあるとか)。

目的はもちろん大学受験

日本の大学は人物評価や高校の成績よりもペーパー一発で合否が判定される傾向があるので、志望する大学・学部で課される科目をベースに「文系」「理系」を選択して勉強するのは、戦略上重要ですよね。

実際、受験科目のみを勉強することが試験に合格する(他の受験生よりも高い点を取る)ための近道でもあったり。

区分けの起源と定義

ではそもそも、「文系」「理系」とは何なのでしょうか?

この区分けは、明治維新期の官僚(文官・技官)の育成制度に端を発し、その後受験戦争が過熱した時期に定着したようです。

現在は学問領域上人文科学(Humanities)と社会科学(Social Science)を「文系」、自然科学(Natural Science)を「理系」に分類する傾向がありますが、明確な定義はありません

参考:『文系と理系はなぜ分かれたのか』単純だが、悩ましい分類のこれまでとこれから – HONZ

文系・理系の用語の使われ方

受験の戦略として

文系・理系の違いが最も重要なのは、試験科目が受験する学部・学科によって異なる大学受験。

いわゆる「文系学部」だと「数学」や「物理・化学・生物」が試験科目になかったり、一方で「理系学部」だと反対に「国語」や「世界史・日本史・地理」が試験科目から外れていたり。

この傾向は私立大学受験で顕著です。

また就職活動では卒業学部よりも卒業大学の名前を問われる傾向があることから、ペーパー一発で合否が決まる日本では、受験科目が被る同一大学の複数の学部を受験することも多いですね。

たとえ興味がない学部に進学した場合でも卒業は難しくないので、大学名というブランドを得るための合理的な判断といえます。

なお大学院のコースも文系・理系に一応分類することができますが、専門性が高いことからあまりこの区分けは意味を成さないようです。(アカデミアの外からラベリングをするときくらいでしょうか)

個人の性格や素質として語るため

かなり定義や存在があいまいな「文系」「理系」ですが、受験以外の社会生活に与える影響は意外と大きいです。

例えば以下のような「あるあるネタ」はよくありますし、「自分は文系人間なので数字に弱い」「自分は理系人間なので文章が下手」みたいな自虐に遭遇した人も多いのではないでしょうか。

文系大学生が自覚する「文系あるある」

  • 理系科目を避けすぎ!
  • 感情的
  • おしゃべり
  • 遊びに夢中

理系大学生が自覚する「理系あるある」

  • 勉強が忙しい
  • 論理的・理屈屋
  • 研究室での思い出が多い
  • 恋人ができない・出会いがない
私達ってこうなんです……大学生が自覚する「文系」&「理系」あるある8つ | 大学入学・新生活 | 授業・履修・ゼミ | マイナビ 学生の窓口 (mynavi.jp)

ここまでくると、学問領域というよりも性格診断といった趣ですね。血液型診断を思い出します(あれも大して根拠がなかった気が)。

日本以外(海外)ではどうなのか

まず「文系」「理系」という区分けが存在しない

日本ではもはや性格の一部のように扱われる「文系」「理系」の概念ですが、海外ではそのような区分は一般的ではありません。

多いのは、人文科学(Arts and Humanities)、社会科学(Social Science)、自然科学(Natural Science)の三類型に分ける方法です。

しかも人文科学と社会科学=文系、自然科学=理系といった対応関係になるとも限らず、最近の社会課題の複雑化に対応して横断的に捉える見方も多くあります。

STEM(科学(Science)、技術(Technology)、工学(Engineering)、数学(Mathematics)の頭文字を取った語)というカテゴリー分けもありますね。これも単純に理系のサブカテゴリ―として捉えると本質を見誤るタイプ。

高等教育機関が社会の発展に寄与することを目的とすることを考えると、時流に応じて学際分野を捉えなおす・再構築することはかなり重要です。

「大学ブランド」よりもまず「何を学んだか」が問われる社会

日本では割と「高校を卒業したら大学」ということが割と普通に語られます(日本の大学学部進学率はかなり高い)。そして受験では全ての学科を総合した偏差値というランキングがあるので、基本的に大学名が学科に優先していく。

しかし、海外では企業が従業員を採用する際に大学・大学院で特定の学科を卒業していること(=特定の知識やスキルの素地を備えていること)を要求するため、学生は「同じ大学の全く異なる学科を乱れ打ちする」ような戦略を取ることはできず、将来を見据えて学科を選びます(リベラルアーツを除く)。

そこでは「文系」「理系」といった区分はますます意味を持ちません。(日本だと選考基準に「文系」「理系」に加えて「体育会系」が入ってくるカオスになることも…)

海外では偏差値のような全ての大学をランク付けするようなシステムはありません。それぞれ学びたい分野で権威のある大学を選ぶイメージです。

また国によっては、小中学生のようなかなり早い段階から大学に進学できる者の選別が始まります。この場合は、「文系」「理系」といった区分よりも「アカデミック」「職業訓練」という風な区分が優勢にならざるを得ないですね。(シンガポールやドイツなんかがその代表例だと思います。)

なお大学のブランドを測る指針としては各種世界大学ランキングが使用されますが、それぞれ評価指標がランキングによって異なりますし、総合ランキングと分野別ランキングで乖離があったり、権威ある教育機関であっても含まれていないこともあるので、日本で扱われる偏差値ランキングのような絶対的な指標にはなりません。

文系・理系を信じるデメリット

進路・将来の可能性が狭まる

まず単純に、学際分野を「文系」「理系」のレンズで見ることは以下のようなデメリットを生じる可能性があります。

  • 興味を持った分野や新しい分野を「文系」「理系」のカテゴリーに分類するクセがつく
  • 選ばなかった方のカテゴリーに属する(と思われる)科目に苦手意識が芽生えてしまったり、避けたりするようになる
  • 「文系」「理系」どちらにも属さない将来性のある分野を見落とす

つまり、学際分野そのものをそのままに捉えることよりも、「国語」「歴史」的な側面が強いのか、「数学」「科学」的な側面が強いのかを無意識に判断することになり、そこで思考が止まってしまうおそれがあるということです。

現に先ほど触れたSTEM分野は、一見「理系」科目だけで構成されているようですが、「文系」に分類されるような分野の素養も重要な役割を果たします。「文系」「理系」二元論思考の枷から自分を解き放たないと、例えばDXのような新しい潮流についていくどころか、正しく捉えることもできません。

そのため、「文系」「理系」どちらか一方だけ、というのは(もし存続させるなら)受験科目の選択までが精いっぱいだと思います。人間の能力はそんなに単純に得意・苦手の線引きができるものでもありませんし。

日本の「文系大学院」進学者が少ない遠因がここにあるかもしれません。

不要な偏見を生む

これも先述の内容に関連しますが、学問的な本質を捉えるのに支障をきたすのと同時に偏見を生みます。

「使われ方」の項目で挙げた、「文系」=感情的、おしゃべり、「理系」=論理的、理屈屋というのは、例えば高度な論理力が求められるキャリア官僚に文系学部出身者が多くいることは説明がつきませんし、口数の多い科学オタクは理系ではないのかという論理に行きつくでしょう(科学オタクをそんな風に疑う人はあまりいないでしょうが)。

ちょっと考えれば分かることですが、血液型診断のように「レッテルはり」「ラベリング」が大好きな日本人にとってはかなり有用。

それくらいならまだ可愛いものですが、「文系は数学が苦手!」「理系は文章が苦手!」というセルフイメージを自分に刷り込むことになってしまう可能性がある点が非常に厄介。言い訳を繰り返すうちに本当に苦手になってしまうこともあるかもしれません。

なお英語でも「数学人間じゃない」という表現はありますが、こちらはあくまで個人的なもの。特定の何かに属しているという意味は持ちません。この場合、「文系」「理系」の区分けのように「特定の分野に苦手意識を持った人間」「特定の分野に偏見を抱いた人間」を量産する可能性はかなり低いと言えるでしょう。

まとめ

今回は、「文系」「理系」の区分けについて筆者の考えをまとめてみました。

結論、筆者はこの区分けにはかなり否定的。

本来学問領域はそれぞれ違う部分もあれば重なる部分もあります。受験対策のために安易に学問領域を単純化するのではなく、大学・大学院で学びたい分野と学ぶための動機付けにもっとフォーカスすべき。

もしどうしても分けたいのであればせいぜい大学受験の受験科目くらいまでにして、その後は「文系」「理系」に縛られずに本質を見抜く力を身につけるのが最善ではないかと思った次第です。

「文系人間」「理系人間」の区分けにしても、単なる考え方の傾向の違いを連想ゲームのように学問領域にオーバーラップさせるのはやっぱり違うのでは…と思います。

以上です。

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