【ちょっとディープなイスタンブール】観光客があまり行かないマニアックなエリアを歩いてみました【新市街&アジア側編】

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イスタンブールといえば見どころがたくさんある街として世界的に有名。

アヤソフィアやトプカプ宮殿などの定番の観光スポットから…

お得に回れるスポットまでよりどりみどり。

定番の観光スポットを周るのももちろん楽しいですが、イスタンブールには散歩するだけでも楽しい街がいっぱい!

今回は外国人観光客があまり訪れないイスタンブールのエリア・新市街&アジア側編。オスマン帝国後期の歴史スポットを中心に、色々巡ってみました。

なんてことのない風景が素敵な場所を巡りました。

今回は新市街&アジア側編。以下のエリアを訪問しました。

  • ベシクタシュからオルタキョイに立地するオスマン帝国後期の宮殿・モスク群
  • 複雑な歴史とカフェの街クズグンジュック
  • ボスポラス海峡沿いに立地するオスマン帝国後期の離宮群
  • オスマン帝国時代のボスポラス海峡の要塞アナドル・ヒサル

各エリアをざっくり地図上に示すとこんな感じです。

旧市街編はこちらです。

目次

ベシクタシュ(Beşiktaş)~オルタキョイ(Ortaköy)

ベシクタシュからオルタキョイのエリアはボスポラス海峡に面しており海風が気持ちいいエリア。ドルマバフチェ宮殿やオルタキョイモスクをはじめとするオスマン帝国後期の史跡が点在しています。

オスマン帝国後期の建築はオスマン帝国様式とバロック様式が混じったデザインが特徴で、旧市街の見どころとは一線を画しています。

このエリアの史跡は近現代史がメイン。筆者としては、イスラム色の強い征服王朝としてのオスマン帝国というより、西欧列強の影響を受け翻弄されるオスマン帝国の姿を見るような思いでした。

ドルマバフチェ宮殿 Dolmabahçe Sarayı

まずはメジャーどころから!

立派な門。

ドルマバフチェ宮殿は、1856年完成の宮殿でオスマン帝国の最後のスルタンたちが居住した場所。トプカプ宮殿に代わる新しい宮廷の象徴として建設されました。トルコ共和国の初代大統領ムスタファ・ケマル・アタテュルクがその晩年を過ごした場所としても有名です。

この宮殿の見どころといえば、オスマン建築に加え、バロック、ロココ、新古典主義などの西洋建築の影響を強く受けた独特の建築様式。内装の豪華さもよくフィーチャーされます。

非常に重要な意味を持つ場所なのですが、同様の建築様式が他のオスマン帝国後期の建築物にもみられることや、西洋風の豪華さであれば今まさに住んでいるヨーロッパのほうが上なので、高額な入場料のバランスを考えて今回はスルー。またいずれ機会があれば訪問したいと思います。

ユルドゥズ宮殿 Yıldız Sarayı

メジャーどころをサクッと押さえ、マイナーどころを巡ります。まずはユルドゥズ宮殿

ボスポラス海峡を見下ろす丘の上に建つ広大な宮殿群で、アブデュルハミト2世の命によって19世紀後半に建設されました。彼はこの宮殿を主な住居とし1880年代から1909年の退位までこの場所で統治を行いました。

これらの建物もドルマバフチェ宮殿と同様にオスマン建築とヨーロッパの建築様式が融合したデザインが特徴です。

訪問した時期は修復工事終了後の無料期間だったため入場しました。

パッと見ヴェルサイユ宮殿のようですが、よく見ると屋内の泉やアラベスク模様の装飾など典型的なバロック様式では見られないような内装がそこかしこに。

壮麗な宮殿。

アブデュルハミト2世といえば、当時「瀕死の病人」と言われていたオスマン帝国の実質最後のスルタン。

露土戦争に際しミドハト憲法を停止したり(※発布したのもアブデュルハミト2世。国内世論の押されて制定した)、ユルデュズ情報局という警察組織と情報機関を包括した省を設立したり、と徹底した専制政治を敷いていました。度重なる弾圧やアルメニア人の虐殺から、「赤い流血の皇帝」というあだ名も付いたほど。

歴史の舞台に立っていると思うと感動的。

宮殿に引きこもって政治的な判断をする…個人的に清朝末期の中国を思い出しました。

アブデュルハミト2世は木工技術にも凝っていたようで、彼の工房を再現したコーナーもありました。彼の作品はユルドゥズ・ハミディエ・モスク(後述)にも使われているとのこと。

リアルな人形もお出迎え。

壮大な図書館の他、ハマムやトイレのように生活感を感じる設備もあります。

図書館は展示スペースとして活用されています。

ユルドゥズ・ハミディエ・モスク Yıldız Hamidiye Camii

ユルドゥズ宮殿のすぐ近くにあるのが、アブデュルハミト2世によって1885年に建設されたユルドゥズ・ハミディエ・モスク

ユルドゥズ・ハミディエ・モスクの建築は、オスマン建築の伝統を受け継ぎながらも当時の西洋建築様式の影響を受けたデザインが特徴です。

他のモスクとは一線を画すデザイン。

イフラムル宮殿 Ihlamur Palace

ユルドゥズ宮殿の正門に程近い大通りBarbaros Blv.を渡って少し歩くとイフラムル宮殿にたどり着きます。

入場料は大人130トルコリラ(外国人)で、支払いは現金のみ。

イフラムル宮殿は19世紀半ばにアブデュルメジト1世の命によって建設されたスルタンの私的な離宮。名前の由来である「イフラムル」は、トルコ語で「菩提樹」を意味し、宮殿の周囲にはこの木が豊富に植えられていたことから名付けられました。

宮殿は主に二つの建物から成り立っており、豪華な主殿(Merasim Köşkü)と比較的簡素な礼拝堂(Maiyet Köşkü)があります。主殿は公式の行事や訪問者を迎えるための場所として利用され、一方、礼拝堂はスルタンやその家族がプライベートに使用していました。

主殿は現在博物館として使用されているようですが、訪問時は閉まっていました。

建築様式は新古典主義やバロックの影響を受けているそうです。

礼拝堂(Maiyet Köşkü)はカフェとして運用されています。

敷地内にはカフェもあり、宮殿の美しい景観を楽しみながらリラックスすることができます。観光地プライスですが…

カフェが多いエリアも近くにある

イフラムル宮殿でお茶するのも素敵ですが、少し南に行ったIhlamurdere Cd.沿いにカフェが点在しているので、そちらで休憩するのもおすすめです。

筆者が立ち寄ったのはParodia Coffee。電源やwifiが使えてのんびり作業するには持ってこいの場所でした。他にもカフェは色々あったのですが、テラス席がメインだったりエアコンが効いていなかったり。

夏場だったので、エアコンが効いた屋内の滞在できるのは非常に助かりました。

オルタキョイ・モスク Ortaköy Camii

ベシクタシュから海沿いの道を東に進むと、地元の若者に人気の街オルタキョイにたどり着きます。

オルタキョイにあるオスマン帝国の関連スポットがオルタキョイ・モスク。ボスポラス海峡に面した美しいバロック様式のモスクで、その美しさから写真撮影をする人が絶えません。

特徴的な建築が美しいモスク。

このモスクは正式には「ブユク・メジディエ・モスク」(Büyük Mecidiye Camii)と呼ばれ、1854年にスルタン・アブデュルメジト1世の命によって建設されました。建築様式は、バロックと新古典主義が融合した独特なもので、外観は繊細な彫刻や装飾で飾られています。

クズグンジュック(Kuzguncuk)~アナドル・ヒサル(Anadolu Hisarı)

歴史の重さを感じる街クズグンジュック

クズグンジュクへのアクセス

ユスキュダルから路線バスを利用するのがスタンダード。15番台のバスの多くがクズグンジュクを通ります。

クズグンジュックは非常に長い歴史を持つ街で、古くはビザンツ帝国時代にギリシャ正教徒が居住していたエリアです。エリアの名称は「美しい景色」という意味を持つビザンツ時代の言葉「コスコニザ(Koskoniza)」が由来であると考えられています(諸説あり)。

オスマン帝国の時代に入ると、クズグンジュックは多文化的なコミュニティとして発展しました。特に15世紀以降にユダヤ人がスペインの追放令から逃れてこの地域に移住し、クズグンジュックにユダヤ人コミュニティが形成されました。

また、アルメニア人もこの地域に多く住んでおり、彼らは特に商業活動で成功を収めました。アルメニア人の存在は地域の経済と文化に大きな影響を与え、現在でもアルメニア教会がその名残を残しています。

この地区の歴史は旧市街のマイナー地区特集で回ったバラットやフェネルの歴史的背景と関連しています。

ただしその後18世紀から19世紀にかけて起こったギリシャ人とトルコ人の住民交換やギリシャ人をターゲットとした虐殺事件(実際にはユダヤ人やアルメニア人も標的になった)といった歴史的な事件により、この街に居住していたギリシャ人やアルメニア人は大多数がイスタンブールの別の地域や海外に移り住んだため、現在この地にはかつてのようなコミュニティは残っていません。

またそのような複雑な歴史的背景を反映してか、この街に残っているギリシャ正教会やアルメニア教会といった宗教施設は観光客向けには開放されていません。

筆者がこの街を訪問した際には、目抜き通りに面したシナゴーグBet Yaakov Sinagoguは厳重な警備体制が敷かれており、気軽に写真を撮れる雰囲気ではなかったです。

おしゃれカフェがたくさん!

このあたりが有名になったのは、カラフルな家が軒を連ねるインスタ映え間違いなしの風景と、通りに林立する若者好みのおしゃれなカフェ。

アーティストや若い職業人が心惹かれて移住することも多いらしく、実際に歩いてみると、複雑な歴史と小さな町のコントラストが不思議と心地よい空間が出来上がっていることが分かります。

緑が多い大通り沿いにはテラスが気持ち良いカフェがいっぱい。

ボスポラス海峡沿いにはスルタンの離宮群が

クズグンジュクからボスポラス海峡沿いに北東方向に向かっていくと、19世紀に建築されたスルタンの離宮をいくつか通ります。

建築様式はやはりオスマン帝国様式と西洋のバロック様式やロココ様式をミックスしたもの。

例えばベイネルベイ宮殿Beylerbeyi Sarayıや…

キュチュックス離宮Küçüksu Kasrı (Milli Saraylar)など。

このあたりは建築様式がほぼ一緒ということもあり、バスから外観を眺めるだけでスルーしました。今後気が向いたら訪問するかも。

ボスポラス海峡の防御の要アナドル・ヒサル

アナドル・ヒサルは、ボスポラス海峡の最も幅が狭い場所にバヤズィト1世によって1395年に建設された要塞です。

この要塞の建設はオスマン帝国の拡大戦略の一環として行われ、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を攻略するための戦略的な拠点とされました。

アナドル・ヒサルの周辺はリゾート地のような雰囲気。
アナドル・ヒサルの上からの景色は非常に美しいです。

なおボスポラス海峡の反対側には同じような要塞ルメリ・ヒサルRumeli Hisarıがあり(建設されたのはアナドル・ヒサルより後)、この二つの要塞はコンスタンティノープルを包囲する際の重要な軍事拠点となりました。

まとめ

この記事では、新市街とアジア側の観光客があまり行かないエリアについて、オスマン帝国時代の歴史スポットを中心に回りました。

旧市街のエリアよりもアクセスが難しいエリアがありますが、ドルマバフチェ宮殿以外はどれもあまり観光客が多くなく、じっくりと建築や景色を眺めることができます。

オスマン帝国後期の建築に興味のある方やイスタンブールに長期滞在する方はぜひ訪れてみてください!

以上です。

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