日本におけるキャリア自律の難しさ。海外の教育&キャリア観と比較してみたら日本の息苦しさが見えてきた

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日本と海外の生き方を比較して改めて考えた「日本で見える選択肢」と「海外で見える選択肢」の違いと、日本で感じる閉塞感。「レールから外れること」への異常な恐怖。

そして他人に人生を委ねることで生まれる安心感と、そこからつながる社畜の量産という現象。

本稿では日本でキャリアを自律的に築くのがなぜ難しいか?なぜ日本人は社畜になってしまうのか?という疑問について、海外のキャリア観を基に自分なりの考えをまとめてみました。

システムや美徳にはどれも一定の合理性があります(ありました)。確かに反省も重要ですが、これから求められるのはより建設的な議論だと思います。

目次

人生の可能性を奪う視野の狭さ「この道に進むのが当たり前」

システム全体を貫く「思想」と「分断」

まず「子供に優しい教育」と「労働者に優しいシステム」の全体を貫くアンバランスを取り上げます。

日本の「国が想定するライフステージ」では、成長していくに従い「中等教育(高校)までの世界」「高等教育の世界」、さらにそこからの「職業生活の世界」を経るようになっています。

それぞれの世界の狭間には自ずから大きなギャップがありますが、そこが地続きになっていません。

「日本のモデル」と「海外のモデル」の具体例を比較

そこで「日本のモデル」と「海外のモデル」を比較してみます。

例えば以下のような感じです(日本は最近変化しつつあるので「これまでのモデル」を付しました)。日本のモデルはとにかく忙しく、各ステップの狭間で考える時間や機会を与えないのが特徴的です。

スクロールできます
時間軸日本のモデル【これまでのモデル】海外(主に欧米)のモデル
高校とりあえず文系・理系のどちらかを受験戦略に基づいて選ぶ。
高校の成績は大学受験に直結しないので、適当に勉強しつつ遊ぶ。
大学受験をする場合は高校の授業では足りないので予備校で受験勉強。
長期的な人生プランについて考える。
高校の成績が進路(大学・職業訓練校etc.)に直結するので必死に勉強。
大学受験:「中等教育」「高等教育」への移行期間
大学受験「人生でやりたいこと」なんてまだ分からないし考えたこともないので、とりあえず偏差値の高い大学を受験。浪人は不名誉なので不合格にならないよう必死。
とりあえず滑り止めにも出願。軸がないため専攻がバラバラになることも。
「人生でやりたいこと」に基づき専攻を決めて受験。もしくは「人生でやりたいこと」が模索できるプログラム(リベラルアーツ)を提供する大学を受験。
バックアップにも出願するが、偏差値思考がないため将来のキャリアという面で一貫している。
※高校の成績や卒業時の試験結果により、そもそも大学に進学できない(受験資格がない)場合も。
高校卒業~大学合格この期間がある場合は浪人生とみなされ、一部から蔑視の対象になる。
どこでも良いからとにかく進学する方が良い(現役合格至上主義)
多浪生を合格させない学部も存在(かつて医学部が話題になった)
働いて進学のための資金を貯める。
人生を模索する時間を設ける(世界を旅したり、ボランティアを経験したり)。

大学受験はこの後に行うこともあり、年齢には囚われずフレキシブル。
大学合格~授業開始大学合格後は期間を空けずに授業開始。
ここから「高等教育」
大学合格した大学のうち偏差値の高いところに進学。
大学の成績は就職先に直結しないので適当に勉強しつつ遊ぶ。
就職を目指す場合は在学中から就職活動(新卒一括・メンバーシップ型)を学業と並行して行う。企業受けを重視し個性を消し、応募書類を量産する。日本にもインターンもあるが職歴にはならないレベルが多い。
大学院受験をする場合は大学の成績が重要なので必死に勉強。
「人生でやりたいこと」に繋がる専攻を突き詰めたり、入学後に「人生でやりたいこと」を見つけ、それから専攻を決める。学内起業も。
大学の成績が進路(大学院・就職先)に直結するので必死に勉強。長期インターン等も経験し、職歴を積む。
就職活動をする人もいるが通年採用・ジョブ型が原則なので在学中は学業に集中することも可能。
就職活動:「高等教育」「職業生活」への移行期間
大学卒業~就職活動この期間(大学卒業と同時に就職できていない)がある場合は就職浪人やフリーターとみなされ、一部から蔑視の対象になる。
新卒のタイミングを逃すと大企業に就職するのは非常に厳しいので、とにかく就職活動する方が良い。
留学などによって年齢が一般的な新卒よりも高いとそれ自体がマイナス要因になることも。
就職活動(通年採用・ジョブ型)
年齢は既にバラバラなので参考程度にしかならない。
ここから「職業生活」
就職後一つの企業で企業の都合で異動・転勤・出世等を繰り返し、定年まで職歴を中断せずに勤める(学生→職業人は不可逆)。自分で選んだ業種で転職や高ポジションへの応募によりステップアップしていく。
必要に応じてキャリアブレイクを設け、大学・大学院で知識のアップデートを行なったり、人生のゴールの再設定を行う(学生と職業人が循環)。
このモデルは筆者がこれまでに耳にした情報をまとめたものなので、例外はいくらでもあります。

初等~中等教育は「子供らしさ」が重視されるので、生徒の興味はせいぜい半径1km程度が良いところですが、高等教育の直前になり、急に「興味のある学問分野」について考えることを求められます。

高校教育と大学入試の間にあるギャップを超えるのが最初の試練。それらはシステム的にほぼ繋がっていないので、ここで予備校等にお金と時間を投入できなければ不利になります。

初等~中等教育の段階や高等教育の段階で人生を模索する時間が取れたり、「自分のやりたいこと」が見つかっている人は非常にラッキー。残りの時間を使って更なる可能性を追求することが可能です。

高等教育では「(とりあえず)興味のある学問分野」を学びますが、今度は職業生活にあたり「入りたい会社」を考えなければなりません。

大学生活の2~3年間という短期間で「入りたい会社」「働きたい産業分野」を決めることになります。そんなことを突き詰めて考えた学生は少ないですし、そもそも考える時間が与えられていないので、「新卒カード」が有効なうちにESを乱発して就職活動を乗り切り、とりあえずどこかに就職するという発想しか出てきません。

この段階で具体的な「入りたい会社」「働きたい産業分野」「やりたいこと」が見つかっていればまだセーフ。これからの時期を主体的に生きることでまだ挽回のチャンスはあります。

さて、「(とりあえず)入りたい会社」や「(何となく)働きたい産業分野」の会社に就職した場合。会社都合の異動・転勤・出世には何の疑問も抱かないか、抱いても状況を変える能力や気力がないので、後述の「価値観」に寄り添って仕事に没頭し、願望があってもその実現を退職後まで後回しにしてしまいます。それだけ「価値観」の呪縛はすさまじいということですね。

会社の定年は早くても65歳。その頃には財力はあるかもしれませんが、気力も体力も20代や30代と比較すると確実に少なくなっていますし、人生の残り時間を考えると、そこで願望を叶えてもその後の人生に活かすことは難しいでしょう。

硬直化したシステムとマインドセット「挑戦がとにかく怖い!」

「レール」を外れた人の「末路」って?

先に示した日本のモデルから外れた(意図せず外れてしまった)場合、戻るのは至難の業。主な理由として考えられるのが以下の3つです。

  • 自分の判断で外れたのだから、その人がどうなってもその人の責任(公金による支援を良しとしない)という世論
  • モデルから外れた人をサポートする制度がない、あっても貧弱
  • 年齢を中心に据えたシステムなので、年数を経てしまうと取り返しがきかない

結果として全てが「自己責任」となり、後ろ盾や支援がないとリカバーもきかない状況になってしまいます。社会システム上「この範囲ならOK」とされている範囲が非常に狭く、その他の道は想定されておらず「明らかに危ない選択肢」とただ「リスクを取る」ことが区別されていないため、行動をためらってしまう原因になります。

余談ですが、「レールを外れる」ことと「末路」がセットになっていることが多いのは、実際に「厳しい状況に置かれるかもしれないこと」以外にも、「自分はレールから外れないようにやりたいことも我慢してきたのに、抜け駆けするなんて許せない」「レールから外れるような自分勝手な人は自己責任で不幸になればいい」というような感情がこもっているように感じるのは自分だけでしょうか…

両極端に偏る思考の罠

しかし、本当はそんな極端なことはあまり起こらないと考えます。

ここで例を出しましょう。最近よく聞く「起業」の話。

起業するにあたって「飛びぬけた成功をする可能性は高くない」のは自明のことですが、失敗した場合どうなるか、という話を見ると…

  • 借金まみれになる・ローンが利用できなくなる
  • 周囲からの視線が冷たくなる
  • 再就職は困難
  • 失敗したという事実がその後の人生に影響する

といった要素を挙げて「失敗しない方法」に重点を置いているものが非常に多いです。つまり起業を「明らかに危ない選択肢」と捉えて恐怖を煽っているわけですね。確かにこれらのデメリットが必ずついてくるのであれば、明らかに危ないですし、「人生失敗」になりそう。怖いですね。

でも、起業に失敗した人は全てこうなるのでしょうか?他に「適性にリスクを取る方法」は存在しないのでしょうか?

いいえ。「適性にリスクを取る方法」は個々人によって異なるだけで必ず存在しています。

例えば以下のように。

  • 借金まみれになる・ローンが利用できなくなる→資金力が足りないのであれば、借金しなくても成立する起業形態にすれば良い。小さく始めるという発想が必要
  • 周囲からの視線が冷たくなる→起業に失敗したことも称賛する文化圏があるので、そこに行けば良い
  • 再就職は困難→起業に失敗したことをプラスに評価する文化圏があるので、そこで就職すれば良い
  • 失敗したという事実がその後の人生に影響する→重く考えすぎ。成功するまで続ければ「失敗」はない

「自分には無理!」という声が聞こえてきそうですが、”0か100か”で考えていませんか?それがまさに「自分にとっての適性なリスクが判断できない」状態です。

理想的な社会(社会人)に個人を縛り付ける「こうあるべき」思想

日本人はこう考えるべき、と言われる歪んだ価値観たち

各ステップの間に自分で探求する時間が与えられない日本。黙って流れに従うか、デメリット覚悟で自分で作るか、の二択になります。

黙って流れに従う道を選んだ場合、以下のような言説に多く晒されることになります。

  • もう「学生」ではないのだから「社会人」としてのルールやマナーを身につけるべき。
  • 仕事は辛くて厳しいもの。弱音を吐いてはいけない。
  • 仕事で楽をすることは許されない。楽をするための改善は悪。
  • 異動・残業・転勤には素直に従うのが当然。個人的な事情は考慮されなくても文句は言わない。
  • 報告・連絡・相談は基本。全てのことを上司に知らせること。
  • 若いうちはスキルがあっても給料が低くて当たり前。
  • 労働条件や賃金を交渉することは良くないことであり、自分の価値を売り込むのは恥ずかしい行為。
  • 社会人になったら長期休暇が取れないのは普通のこと。長期の海外旅行は定年後にするもの。
  • 家や車を買ってこそ一人前。
  • 他の企業では通用しない。転職なんて考えない方がいい。(パワハラ上司の常套句)

これらはまことしやかに囁かれる「常識」であり、システムを温存するうえで非常に有用な概念たちです。

もちろん全てが間違いというわけではありませんが、時代遅れになったものや意味不明な概念、人権侵害的なものまであり、全てそのまま飲み込むのはちょっと危険。

閉鎖空間で次世代に受け継がれる「正しい価値観」

さて、そのような歪んだ価値観は外の世界を知っていれば取捨選択をしたり、染まらずにやり過ごしたりできるものです。状況によっては居づらい場所から飛び出すという選択肢もあるでしょう。

しかし、下の世代も「外の世界」や「異なる常識」に触れておらず、「自分の人生について真剣に考える時間も機会も持てなかった」人々が多いので、それらを正解として受け入れます。というか受け入れる以外の選択肢がありません。

その結果、遅かれ早かれ以下のような状態になります。

  • 社会人のマナーに従い、上司に報告・連絡・相談を行う従順な部下になる。
  • 仕事が辛いのは当然。仕事を楽しもう・楽になるよう工夫しようと考えるのは悪いことであると考える。
  • 会社都合の異動・転勤・出世は当然なので、自分の時間や自己研鑽の機会はなくても仕方がない。

そして、自分の人生について深く考えることなく年齢を重ねていく(そして同じ観念を更に下の世代に押し付ける)ことになるのです。

飛び出すためのスキルと気力を奪う労働慣行

最大のデメリットがこの「ジョブ型雇用・海外」で通用しづらい人材になってしまうことです。最初の項目「中等教育まで」・「高等教育」・「職業生活」が断絶しているで触れたとおり、「日本型のシステム」と「海外型のシステム」は根本の考え方と時間の使い方が全く異なります。

その結果、職業生活には次のような違いが生まれます。

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項目日本型海外型1:一般型(プロフェッショナルコース)海外型2:エグゼクティブ型(マネジメントコース)
全体を貫く考え方メンバーシップ型
最初に人がいて、人に仕事を割り振る(重要なのは採用人数)
ジョブ型
最初に仕事があり、人を仕事に割り振る(重要なのは空席数)
主な採用方式年齢・年次に基づく新卒一括採用もしくはスキル・能力に基づく中途採用(通年採用)スキル・能力に基づく通年採用
キャリアパス全員が将来の幹部候補
社内教育あり
会社都合の異動・転勤・赴任有(専門外も含む。拒否不可)
基本的にゼネラリストで、人によりスペシャリストに分化する(業種によっては運の要素も強い)。
定期的に異動がある
幹部候補ではない
社内教育なし
会社都合の異動・転勤・赴任無。
どちらかと言うとスペシャリスト寄り。
将来の幹部候補
社内教育なし
会社都合の異動・転勤・赴任有(専門外は基本ないが、ゼネラリストが想定される。拒否できるかは状況による)
給与年功序列(最初は低く徐々に上がるが天井がある)
若手は低めに設定され、年齢が上がるごとに若手時代の低い給与分を取り戻す
ポジションによる(全体的に低め)ポジションによる(全体的に高め)
担当業務範囲はあいまい→全面的協力が求められる(協力は当たり前なので給与などには反映されない)
仕事が回らない→本人の責任
範囲は明確→必要に応じて協力(その分は給与などに反映)
仕事が回らない→上司・組織の責任
出世の方法一定年数勤める
社内選考を突破する
会社・上司に認められる
上のポジションに応募する
社内選考を突破する
会社・上司に認められる
自己啓発会社員や公務員の場合、自己啓発をしても次の仕事が選べない&収入に反映しないので基本的に無意味。
投資と浪費をはき違える事例(やったつもり)が多数。
MBAをはじめとする学位を取得したり自分でスクールに通う。これまでの職種に直結した内容なら出世や転職に明確にプラスになる。職種を変えたい場合も自己啓発が必須。
メリット雇用が安定している
専門外の業務も幅広く経験できる
給与は少しずつ上がる
状況次第で出世も可能
配属が選べる・業務範囲も明確
給与や労働条件が明確
専門性を高めることが可能→転職しやすい
年齢の縛りが弱め
求められる仕事の質はエグゼクティブ型と比較すると低め
配属が選べる・業務範囲も明確
給与や労働条件が明確
専門性を高めることが可能→転職しやすい
年齢の縛りが弱め
給与が高い
デメリット年齢・年次ありきで。「就職」ではなく「就社」状態になりやすい
若手社員は使い捨て
配属は基本的に選べない
頻繁&畑違いの異動で専門性が身につかないため、転職が難しい
仕事の範囲があいまい→無限の献身が求められる
全員が幹部候補のため給与が低くても仕事の質が求められる・完璧主義(「新入社員でも管理職の目線で」のスローガン)
常にスキルや能力が求められるため、雇用は不安定
自分で決めた専門外の経験はほぼできない
別のポジションに移らない限り出世・昇給はない
会社へのエンゲージメントは基本的に低い
常にスキルや能力が求められるため、雇用は不安定
自分で決めた専門外の経験はほぼできない
別のポジションに移らない限り出世・昇給はない
給与の高さにより求められる仕事の質も高く、非常に多忙になる
このモデルは筆者がこれまでに耳にした情報をまとめたものなので、例外はいくらでもあります。

上のテーブルを総合すると、日本は「優しく守られるけれど、逃げ場はない世界」、海外は「自分の選択で生きられるけれど、相応の厳しさのある世界」といえるでしょう。

日本型の労働慣行に染まるということは自ら「他の世界」を見るためのチケットを手放すような行為につながっているという面があるということです。

日本人が世界で戦えないと言われるのはここに原因を求めることができそうです。

もちろん海外よりも日本の考え方のほうがしっくり来る、この働き方が心地よい、という場合もあるので個々人の選択になりますが、単純に選択肢が減るというマイナス面は直視しておいたほうが良いでしょう。

ちなみに海外に「メンバーシップ型」にあたる言葉はありません。日本の労働慣行がいかに特殊かが分かります。

日本人が海外で損をする原因になる!日本の「美徳」

日本の美徳は搾取されやすい個人を生み出すのにもってこい。誤解を生むような要素も多いです。

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日本の美徳「ジョブ型雇用・海外」の世界では、「日本の美徳」はこう受け取られるかも?
迷惑をかけてはいけない・多少の迷惑をかけるのは仕方ないのに、そんなに恐縮するということはきっと責められて当然のひどい失敗をしたのだろう。
・困っているみたいなのに頼ってくれない。きっと自分は信用されていないんだな。友達にはなれないかも。
常に謙虚でいなければならない・感情が見えない。何を考えているか分からなくて不気味。
・自分の願望を言わないということは、きっと本気で望んでいないのだろう。じゃあこのチャンスは他の人にあげてもいいよね。
・そんなに自分を卑下するということは、実際に能力が低いのだろう。取引をしたり一緒に働いたりしたくないな。
他人と違うことは良くない・他人と違うことはユニークで面白いこと。みんなと同じなんてつまらない
・誰かに代替できるような人材なら、一緒に働く理由はない他の人を採用しよう。
間違えてはいけない人間は必ず間違えるのだから、もし間違えてもリカバーすれば良い。リカバーできれば失敗の範疇にすら入らない。そもそもシステムが悪いのかもしれないし。
失敗は挑戦の証。致命的な失敗も中にはあるかもしれないけれど、全ての失敗が悪いということにはならない。挑戦しないよりよっぽどマシ。
・チームは協力して業務を遂行するためにあるのだから、業務の効率に寄与しない「犯人捜し」は無駄なだけ。
・ミスが無くて完璧なのは良いけれど、それを他人に押し付けるのはやめてもらえる?
このモデルは筆者がこれまでに耳にした情報をまとめたものなので、例外はいくらでもあります。

日本の美徳は大変素晴らしいのですが、「海外型」の社会や労働慣行の世界に行くと、誤解を招いたり、自分が損をする原因になってしまうことが多々あります。

筆者も実際に経験があり、これらの「美徳」が現れてしまったことで貴重なチャンスをみすみす逃してしまったことがあります。もちろん程度問題ですが、フレキシブルになるためにはかなりの努力が必要です。

他にも海外で日本人が損をするシステム的な要因も多いです。

日本の美徳にもメリットはあるので、上手く組み合わせられると良いのですが…

まとめ

本記事では日本の教育や労働慣行が「選択肢を奪う足かせ」として機能する過程について考察しました。

まとめると以下のようなかたちになります。

  • 日本のシステムはそれぞれが優しいが構造的に分断が著しく橋渡しは不十分
  • モデルに従う生き方以外を想定しないシステムが生む極端なリスク回避傾向
  • 労働者に優しいシステムの中で継承される古い価値観
  • 価値観の異なる世界でデメリットに反転する日本の美徳

総じて疑問を持たずに上手く社会に順応できる人・自分の力で人生を選択できなくても不満を感じない人・日本社会の枠内で幸せを見つけられる&幸せに生きられる人にとっては非常に優しい世界であるといえるでしょう。(その見返りとして他人に人生の主導権を明け渡す覚悟さえあれば…)

なお最近の「ジョブ型」議論では欧米型に雇用制度を変えようとしていますが、教育制度や考え方から根本的に変え、子供の段階から「どう生きるか」「どう働くか」を徹底的に教え込む必要があるため、付け焼刃の働き方改革(雇用制度のみの改革)では到底無理です。

結局日本でキャリア自律を目指すのであれば以下の道しかありません。

日本で希望するキャリアを叶える方法
  • 資産家か起業家になる
  • 日本に拠点を置く外資系企業で働く(ただし日本人と異なるルートで採用され、日本人とは異なる待遇で働くことが必要)*日本的マネジメントを行っている外資系は除外
  • 年功序列を廃止した日本企業で働く
  • 海外で働く

そして大学院留学のように海外で教育を受けることは、搾取的なJTCから逃れるための最もスタンダードな方法といえます。

以上です。

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