シンガポールで働き、スイスで暮らしてみて、はっきり分かりました。
日本の労働環境は、“異常”で、人権侵害的です。
海外がどうとかいう以前のレベルで。
長時間労働や休めない空気は当たり前。「働くこと=苦行」と刷り込まれ、我慢を強いられる。それでいて報われず、選べず、声を上げれば排除される―そんな構造が社会全体を覆っています。
この記事では、私が「日本ではもう働きたくない」と強く思う6つの理由を挙げ、人間の尊厳や基本的権利の観点から、日本の雇用慣行がいかに歪んでいるかを掘り下げます。
日本のおかしな働き方&労働観6選
日本の職場で「働きたくない」と感じる理由は、単なる制度の不備だけではありません。
長時間労働や休みづらさといった労働慣行だけでなく、「我慢が美徳」「空気に従わない人は排除」といった価値観まで、構造的に人を追い詰める要素が重なっています。
ここでは、私が海外経験を経て強く違和感を覚えた6つのポイントを紹介します。
1.「働くために生きる」が前提の日本人
日本社会では、「生きるために働く」よりも「働くために生きる」ことが当然とされています。
長時間労働や休日返上が美徳とされ、忙しいことが良いことのように語られる文化が根深く残っています。
余暇や私生活は「仕事の邪魔をしない範囲」でしか認められず、キャリアのブランクには強烈な拒否反応が返ってくる。
本来は理由不要の有給休暇であっても、「角を立てないために理由を告げる」のが常識とされる社会です。
学生時代から「いい企業に入る=いい人生」「新卒就活を失敗すると詰む」という物語が刷り込まれ、社会人になると「人生を会社に預けることが当たり前」という価値観に支配されます。
さらに、天候不順やコロナ禍といった非常事態でも、出勤を強要する上司が少なくありません。
公共交通機関が止まっていても始業時間に間に合うよう求める―そんな狂った慣習がいまだに存在しています。
もっと言えば、「体調管理も仕事のうち」という考え方も有害です。
体調不良は決して本人の責任ではなく、むしろ本人が一番苦しんでいるのに、それを責める職場文化は重大な問題です。
海外では逆に「人生を豊かにするために働く」が基本です。
自分や家族の安全が最優先で、危険な状況で出勤を命じれば上司が罰せられることもあります。
休暇や自分の時間は権利として尊重され、日本のような“会社ファースト”の生き方が常識とされることはほとんどありません。
2.時間を奪うことに無自覚な文化
日本の職場は、とにかく人の時間を軽視します。
始業時間だけは分単位で厳守を求めるのに、終業時間が守られることはほとんどありません。
定時を過ぎても「帰れる雰囲気じゃない」「先輩が残っているから」といった理由で残業が常態化。
しかもその残業は必ずしも必要な仕事ではなく、「付き合い残業」「待機残業」など、存在意義すら曖昧なものも多いです。
会議も無駄が多く、結論が出ないまま長引くことが日常茶飯事。
メール一本で済む内容をわざわざ全員集合させて会議にする。
しかもそこに「根回し」と「前打ち合わせ」までセットでついてくる。
一人一人の時間を平気で奪いながら、それを誰もおかしいと指摘できない空気が蔓延しています。
仕事時間外でも連絡を受けられるようにしておくことが求められることも…。
有給休暇も同じです。
制度としてはあっても、「周りに迷惑をかけるから」と自由に取れない雰囲気がある。
予定を早めに申請しても、「その時期は忙しい」と却下されることもざらです。
旅行に行くなんて言おうものなら、お土産ミッションが発生。
貴重な旅行の時間を使ってお土産を買ってきても、「個包装じゃないなんて気が利かない」「海外旅行なんてお金持ちね」のようなお小言がセットになってくることもあります。
筆者は風邪をひいたときには有給休暇を使うものだと教わりました。病気休暇があるのに、です。
それで査定に響くから…って、それは査定の方がおかしいのでは?
こうした“時間泥棒”の積み重ねが、人生をすり減らす原因になっています。
仕事以外の時間は、家に帰って寝るだけ。家族や自分のための時間は後回し。
それでも誰も声を上げず、むしろ我慢している人が「頑張っている」と評価される。
海外の多くの国では、時間は命と同じくらい大切にされます。
契約上の勤務時間が終われば、当然のようにオフィスは空っぽになります。
というか自分の仕事が終わったら帰ります。
残業を強いるのは労働法違反、会議をだらだら続ければ上司が責められる。
人の時間を奪うことが、どれだけ失礼で非効率か、共通認識があるのです。
日本だけがこのあたりの感覚が鈍いまま。
これは働き方改革で多少制度を変えたくらいでは絶対に解決しない、根深い文化の問題です。
日本の職場は、社員の時間を“会社の所有物”のように扱っています。
でも時間は命そのもの。人の命を奪うような働き方を、いつまで「当たり前」で済ませるつもりなのでしょうか。
3.身内を守らない組織
日本の職場は、外からの攻撃にも内からの不正義にも、驚くほど従業員を守ってくれません。
理不尽なクレームが来れば、「とりあえず謝れ」「お客様の機嫌を損ねるな」で終わり。暴言や無理な要求に従わされたとしても、誰も従業員をかばわない。
最近は聞かなくなりましたが、警察官が制服姿でコンビニに寄ったことについて市民から警察署に報告が入り、なぜか警察署が謝罪するという結果になったという話もありましたね。
従業員の健康や尊厳よりも、「取引先や客との関係」が優先されるのが当たり前です。
職場内でも同じ構造が繰り返されます。パワハラやセクハラが起きても、被害者が声を上げれば「空気を乱した」と責められる。加害者は“ベテランだから”“取引先との関係があるから”と守られる一方、被害者が異動させられたり、孤立させられたりすることすらあります。「潰した部下の数」を武勇伝のように語る上司すらいるのですから、救いようがありません。
実際に、日本では組織が内部の声をつぶし、従業員を守らなかったことで悲劇につながった事例が後を絶ちません。
たとえば兵庫県庁では、パワハラを告発した元職員に対し、知事らが“犯人探し”を優先し、告発者は精神的に追い込まれ自死に至りました。公益通報制度が「内部の不正を正すため」ではなく、「異物を排除するため」に使われた象徴的な事件です。
また、カネカの事例では、男性社員が育児休業から復帰した直後、家庭環境を無視した遠方転勤を命じられ、世間から「パタハラ」と強く批判されました。制度があっても使えば報復される―これが多くの職場でまかり通っています。
こうした“身内を守らない組織文化”がまかり通る限り、日本の職場で人が安心して働くのは難しい。
「お客様のため」「組織のため」という大義名分の裏で、誰の命や尊厳が削られているのか―多くの場合、それは従業員です。
海外の多くの国では、顧客と従業員の間に明確な境界線があり、暴言や理不尽な要求をする客は退店させるのが当たり前。「従業員への暴言や暴力を許さない」という警告文は多くの場所でみられます。職場でのハラスメントも即座に調査・処分が行われ、処分されるのはもちろん加害者側。従業員が消耗品のように扱われることはほとんどありません。
4.キャリアを自分で選べない
日本の職場では、キャリアの選択肢が驚くほど狭い。
入社した瞬間に「会社に従う人生」が既定路線になり、どの部署に配属されるか、どんな仕事をするか、自分で決められることはほとんどありません。
ネット上にある新卒向けの記事内容は、だいたいが「配属ガチャは組織の都合的に全員の都合を聞いていられない(=だからある程度は諦めてね)」だの「配属ガチャに外れたときにどうするか」みたいな内容だったりする。
ガチャ要素がおかしいことを語ってもアクセスが伸びないのは分かるけど、ガチャがある状態を受け容れる選択をするのはやっぱりおかしいと思います。
命運をガチャに委ねる職場なんて、他の先進国ではほぼ聞いたことがありません。運で決まるのは宝くじやゲームだけで十分のはずです。
特にそういう状況に陥りやすいのが、文系学部卒業者。そもそも文系・理系という分け方自体が時代遅れの産物なんですが、学問分野について深く考えなくても良いからか、まだまだこの考え方が維持されています。
さらに「適性や希望を考慮する」と言いながら、実態は「会社の都合が最優先」。転勤や異動の命令があれば家庭の事情など無視され、断れば「協調性がない」と烙印を押される。海外ではまずありえないような強制力が、当然のように行使されます。家族を帯同せざるを得ない状況に追い込んでおいて、帯同する家族の分の費用は出しません、とか。
転職に関しても、まだまだ「一度辞めたら終わり」「忍耐が足りない」という偏見が強く、キャリアを柔軟に組み替えることは難しい。専門性を深めるどころか、ゼネラリストとして会社の言いなりにされることが“安定した人生”だと刷り込まれています。
ゼネラリストは「スキルの掛け合わせでユニークな人材になれる」と言われることがありますが、日本でいうゼネラリストは所詮「社内ジョブホッパー」。スキルの掛け合わせができるほどの深さを持ち合わせていないことが多く、単なる器用貧乏止まりです。
キャリアの自由度を奪っておいて、その結果生まれる“凡庸さ”を本人の責任にするのが日本の職場です。
選択肢があるように見えて、実際には「会社を出るか、従うか」の二択しかない。
会社を出れば「裏切り者」、従えば「飼い殺しの未来」。どちらも明るい感じはしませんね。
本来キャリアは自分の人生に沿って選べるはずなのに、日本の職場ではそれが許されないのです。
海外の多くの国では、キャリアの選択は本人の権利として尊重され、家庭やライフステージに合わせて働き方を調整するのは当たり前です。グローバル企業でも転勤はありますが、多くの場合本人の同意と補償が前提です。
日本だけが、そのプロセスを欠落させたまま“命令”を押し付け、拒否権すら存在しない異常な構造を維持しています。「会社に人生を預けるのが当然」という価値観が、いまだに根深く残っているのです。
5.不明瞭な評価と低賃金
日本の職場では、賃金が自分の価値や成果に見合っていないと感じることがあまりに多い。
その最大の理由は、評価制度が驚くほど不透明だからです。
「頑張っても報われない」「なぜあの人が昇進するのか分からない」―これが日本の職場での“当たり前”。
評価基準は表向きには存在するものの、実態は「上司の好き嫌い」や「空気を乱さなかったかどうか」で決まることが少なくありません。
スキルや実績に基づかない人員配置が平気で行われるのが日本。財務経験ゼロの人が財務部長になったり、知識のない管理職が知識のある部下を束ねるという非効率が日常茶飯事です。
目に見える成果を出しても、「でもあの人は協調性が…」「まだ若いから…」と理由をつけて評価を下げる。
逆に、成果を出していなくても、上司に気に入られていれば昇進できる。
この“空気読みゲーム”が評価を左右する職場で、どうやって自分の価値を正当に認めてもらえるというのでしょう。
さらに日本では、賃金の決まり方そのものも異常です。
職務内容や成果ではなく、「年齢」「入社年次」「どれだけ会社に忠誠を尽くしたか」が基準になりがち。
年上で在籍年数が長い人の給料が、若くて有能な社員よりも(けた違いに)高いのも珍しくありません(働かないおじさん問題)。
成果は時間単位で図られるので、「頑張れば給料が上がる」とは言いながら、結局は時間を売るしかない仕組みになっています。
海外の多くの国では、評価と賃金の根拠は明示され、職務記述書と連動しています。
「この仕事にはこの報酬」が定義されているからこそ、成果を上げれば昇給や昇進が見込めるし、納得できる説明がされます。競争は激しいですが、求められる経験やスキル要件が明示されているという意味では非常に公正です。
日本のように“気分と空気”で評価が決まる職場はほとんどありません。
さらに、こうした不透明な評価制度の結果、日本は昇進スピードも異常に遅い。
これが低賃金を固定化し、海外に出ようとしたときには「年齢や経験年数のわりに役職が低い」という不利な条件を背負わせることに繋がります。
正当な評価もないまま、低賃金でこき使われる。
どれだけ努力しても報われず、「空気を壊さないこと」が最大の評価基準。
そんな職場に未来があると思いますか?
あるのは、理不尽と諦めを次世代に押し付け続ける未来だけだと筆者は思います。
6.個人の自由が尊重されない職場
日本の職場では、なぜか「個人のライフスタイル」と「職業生活」は二項対立として扱われることが多いです。
法律上は労働者の権利が保障されているものの、「権利はあっても行使しづらい」のが当たり前で、誰かが休暇を取れば「迷惑をかけるな」と白い目で見られ、定時で帰れば「やる気がない」と言われる。
制度上ある権利を使えばインフォーマルなかたちで罰せられる仕組みになっています。
さらに、日本特有の「同質性の圧力」が強烈です。
個人の価値観や家庭の事情よりも、「みんながやっているかどうか」が最優先。
不要な社内イベントや飲み会への“自発的”参加が強要され、断れば「協調性がない」と陰口を叩かれる。
仕事と関係ない場面まで会社に従うことを強要されるのは、もはや支配に近いものがあります。
給料以上のアウトプットを求める文化も、この「個人軽視」を助長しています。
契約で決まった労働時間や役割を守っても、「成果が足りない」「会社のためにもっとやれ」と無言の圧力をかけられる。
休日や私生活を削るのが“良い社員”の条件になっており、低賃金で無制限に人生を差し出すことが求められるのです。
海外の多くの国では、労働契約は「対等な取引」です。
労働時間と業務範囲が明確に定められ、それ以上を求めるなら追加報酬が支払われる。
個人の生活や価値観を尊重しない職場はブラックと認識され、是正が求められます。
日本では逆に、会社にすべてを捧げることが“美徳”として語られる。
そんな環境では、誰だって心を守るために「静かな退職」をしたくなる。
無限の献身の先にあるのは、自由も尊厳も奪われた“会社のための人生”だけです。
日本が働きづらい理由その1:雇用制度が望ましいあり方から乖離
日本で働きづらさを感じるのは、単に「会社との相性が悪い」「忍耐力が足りない」という個人の問題ではありません。背景には、世界標準から見ても異質な労働慣行が根強く残っているという構造的な問題があります。
そこで本章では、国際労働機関(ILO)が提唱する「ディーセント・ワーク」という世界共通の労働基準を出発点に、日本の職場文化がどのように乖離しているのかを整理していきます。
前章「日本のおかしな働き方&労働観6選」で取り上げた具体的な点がどの項目に対応するのかについてもみていきます。
ILOが掲げる「ディーセント・ワーク」の概念
国際労働機関(ILO)は、すべての人が「人間らしい働き方(Decent Work)」を実現できることを目指しています。
これは単なる「失業率を下げる」ことではなく、働くことで人間の尊厳が守られ、人生を豊かにできる条件が整うことを意味します。
世界各国で失業や過労、低賃金労働が問題となった1990年代以降、ILOは“雇用の量だけでなく質を高める”ことを目的に、この概念を提唱しました。
ディーセント・ワークは以下の4本柱から成り立っています。
世界の労働政策はこの概念を指針に整備されており、多くの国がこれを基準に雇用制度や労働法を見直してきました。
- 雇用創出と安定した仕事の確保(Employment Creation)
- 労働者の権利の保障(Rights at Work)
- 社会的保護(Social Protection)
- 社会対話と三者協議(Social Dialogue)
この4つがバランスよく実現されて初めて、働く人が人間らしい生活を営める「働きがいのある仕事」が保証されます。
日本の労働慣行はどう逸脱しているのか?
日本の労働慣行には4つの要素全てに問題があり、労働分野において人間の基本的な尊厳が守られていないと言えそうです。
1. 雇用創出と安定した仕事の確保
すべての人が、自分の能力を発揮できる雇用にアクセスできること。職業選択やキャリア形成の自由が確保され、望まない失業や職業固定化が防がれる状態です。
日本は新卒一括採用や終身雇用の慣行により、入社時点で将来の選択肢が固定され、転職や専門性の確立が難しい構造があります。新卒採用人数はそのときの経済状況などに大いに影響を受けるため、就職活動を行う時期に人数が絞られてしまうと安定した仕事の確保が非常に困難になります。
スキルや経験よりも生まれ年によって決まってしまうため、就職氷河期世代など影響を受けやすい世代とそうでない世代に明確に分かれて格差が固定されてしまいます。
- 4.キャリアを自分で選べない
2. 労働者の権利の保障
すべての労働者が、強制労働や差別、過剰な労働時間から守られ、安全で尊厳ある労働条件を享受できること。
日本は「仕事中心の人生」が当然とされ、長時間労働や過労が常態化していますし、不要な会議や非効率な慣習がまかり通り、労働者の時間が軽視される傾向があります。生命や身体に危険が及ぶような状況に出勤を命令するような場面もあり、労働者の権利は十分に保障されているとはいえません。
さらに声を上げることや働き方の希望を示すことが「空気を乱す」と見なされ、自由な意思表示が抑圧されがちです。
- 1.働くために生きる」が前提の日本人
- 2.時間を奪うことに無自覚な文化
- 6.個人の自由が尊重されない職場
3. 社会的保護
働く人が病気や事故、失業、ハラスメントなどのリスクに直面したとき、守られる制度や仕組みがあること。
日本では、パワハラや不当な扱いを受けても、組織は内部の被害者を守らず、加害者や「組織の体面」を優先する傾向があります。公益通報制度は整備されているものの、実際の保護機能はないに等しく、本来の安全・保護機能が果たされていません。
- 3.身内を守らない組織
4. 社会対話
労働者と経営者が、賃金や労働条件について対等に話し合い、透明性のあるルールをつくること。
評価基準がブラックボックス化しており、労働条件や給与決定のプロセスに労働者の意見が反映されにくい状況。転職が少なかったため労働者が自身の労働条件について改善を求めるような習慣がなく、給料レンジも会社によって非常にまちまちなため、交渉のための材料も持っていないことがほとんどです。
労働組合は会社単位で御用組合が多かったり、新卒一括採用の募集開始時期も既に形骸化しているなど、まともに社会対話が行われる状況にはありません。
- 5.不明瞭な評価と低賃金
小括:働きづらい原因は「制度・労働慣行の欠陥」にある
こうした状況は日本特有の“当たり前”として受け入れられてきましたが、国際基準から見れば異例です。
ディーセント・ワークの4本柱が揃わない環境では、誰が働いても疲弊しやすく、「働きづらさ」を感じるのはむしろ自然なことです。
私が日本で再び働くことに躊躇するのは、決して個人のわがままではなく、構造的に“人間らしい働き方”が保障されていないからです。
日本が働きづらい理由その2:人間の尊厳が踏みにじられる環境
日本の職場が「働きづらい」と感じられる背景には、単に制度や慣行の問題だけでなく、より根本的な価値観の問題があります。
国際社会では、人間が人間として扱われること=人間の尊厳の尊重が、すべての社会制度の前提とされています。
働く環境も例外ではなく、尊厳を脅かすような職場文化は“異常”とみなされるべきです。
国際社会で共有される「人間の尊厳」という価値観
国際社会では、労働に限らず「人間の尊厳」が非常に重要視され、その価値観が共有されています。
例えば以下のような文書に表れています。
- UNESCO憲章前文:「人類は、相互の尊厳と平等を認め合うことを基礎として、平和と安全を築くべきである」
UNESCO Constitution, Preamble (1945) - 世界人権宣言第1条:「すべての人間は尊厳と権利において平等であり、自由と良心を持って行動しなければならない」
Universal Declaration of Human Rights, 1948, Article 1
これらの国際文書が示すように、「尊厳の尊重」は国家や企業、あらゆる社会制度が守るべき最も基本的な原則です。
労働環境がこの原則を侵害するならば、それは個人の忍耐力の問題ではなく社会の構造的欠陥と言えます。
上記を踏まえ、人間の尊厳を構成する要素(労働に関連する主なもの)は以下の項目に整理することができます。
- 人格の尊重と自由意思:自分の意見や選択が尊重され、働き方を自ら決められること。
- 人間らしい生活と休息:過度な長時間労働や過労死の危険がなく、生活や健康を犠牲にしないこと。
- 失敗や挑戦の自由:完璧を求められすぎず、失敗から学び成長できる環境があること。
- 平等で公正な扱い:不当な差別や不透明な評価がなく、成果に応じて公平に報われること。
- 安全・安心の保障:ハラスメントや不当な扱いから守られ、心理的安全性が確保されていること。
日本の職場が「人間の尊厳」を踏みにじる場面
上記の要素と照らし合わせると、日本の職場文化に蔓延する価値観にも問題があることが分かってきます。
1.労働者の自己決定権や自由意思の軽視
「働くためにプライベートも犠牲にすべき」「仕事はつらい物」という労働観の押し付けが行われる。声を上げること、働き方や異動希望を伝えることが「空気を乱す」とされ、過度な上下関係のもとで意思表示を封じられる職場が多い。
仕事分担や役割もあいまいで、自分の興味のある分野に取り組むことができないことが当たり前とされる組織が多い(特に大きな組織で顕著)。
- 6.個人の自由が尊重されない職場
2.人間らしい生活を奪う働き方
長時間労働や「命がけの出勤」を強いる文化が残り、私生活や健康が二の次にされやすい。休暇制度や育休制度のような人間としての時間やライフステージに関わる制度を利用することがマイナスに作用するという風潮がある。
数年働かない期間を設けて好きなことをしたりキャリアの棚卸をしたりすること(キャリアブレイク)に不寛容。
席次や名刺交換など不必要なレベルに細かいビジネスマナーが多く、ひたすら形式だけを追い求めて本質を無視する風潮がある。
- 1.働くために生きるが前提の日本人
- 2.時間を奪うことに無自覚な文化
3.完璧主義・減点主義による萎縮・非人間的環境
ミスが許されず、常に限界を超える成果を求められる(完璧主義)ことで、人間の自然な不完全さが否定される。さらに減点主義が蔓延しており、小さな失敗だけが強調され、成果は当然のものとして加点されない。人格まで否定されることもある。
結果として挑戦する自由、失敗から学ぶ権利が奪われ、人は「人間」ではなく「エラーを許されない機械」として扱われるようになる。
- 2.時間を奪うことに無自覚な文化
- 5.不明瞭な評価と低賃金
4.公平さを欠く評価
評価基準がブラックボックス化し、納得感のない低賃金がまかり通る。減点主義とも相まって、努力や成果が正当に認められない。
自己啓発をしても報われないどころか、やっかみを受けることすらある。
- 5.不明瞭な評価と低賃金
5.安全・安心の欠如
日本の労働環境は非常に不文律が多く、上下関係を基盤にした気配りや忖度が常に求められる。パワハラや不当な扱いを受けても、被害者が守られず組織の体面が優先される。公益通報制度も形骸化しており、安全網がないに等しい。
上下関係も非常に厳格で、理不尽なことでも仕事であればすべからく耐えるべき、という感覚が残っている。
てにをはレベルの揚げ足取りのような非生産的なやりとりを取り除くメカニズムがなく、職場の心理的安全性が低い。
- 3.身内を守らない組織
小括:日本の職場では「人間らしさ」もすり減っていく
こうした要素が複合的に絡み合い、日本の職場では「自分が人間であることを許されない」ような働き方が強いられています。
制度面(ILO基準)だけでなく、価値観の面の尊厳も脅かされることで、働くこと自体が精神的に負担になりやすい環境。日本で働くことに躊躇を覚えるのは自然なことです。
- 国際連合『世界人権宣言』第1条、第23条
- UNESCO憲章前文「人間の尊厳と平等、基本的自由の尊重」
海外就職はパラダイスじゃない。それでも日本で働きたくない理由
ここまで海外との対比をメインにいかに日本が働く環境として良くないかを挙げてきました。でもだからと言って、海外で働けばすべてがバラ色、と言いたいわけではありません。
国や地域によっては制度が未整備であったり、雇用が不安定だったり、理不尽な上司がいたりするのは世界共通ですし、海外だからといって自動的に「人間らしく働ける」とは限りません。
合う合わないの判断においては、個人の素質だって大いに影響しますからね。
外国人として働くことを考えると、海外の方が厳しい面がむしろ多いのもまたひとつの真実です。
海外の働きづらさ・生きづらさ
たとえばアメリカでは、有期雇用が多く解雇も容易なため、雇用が非常に不安定なケースがあります。北米の一部企業では、成果主義が行き過ぎて競争が過酷になり、常にリストラへの恐怖がつきまとうこともあります。
ヨーロッパは育休制度や休暇は整っていても、産業や職種によっては大きな階層の壁が存在。EU圏外からの人材移動には非常に厳しいという側面もあります。フランスは自殺者が意外と多いことはあまり知られていないかもしれませんね。その他制度や社会はなんだかんだ言って非常に保守的・閉鎖的です。
アジアに目を転じれば、日本以上の過酷な学歴社会や競争社会が待っています。近年では学歴に箔を付ける目的で日本の有名大学に進学する近隣アジア諸国の人も多いと聞きます(日本の大学入試は中国などと比較すると驚くほど低レベルらしい)。
さらに職場単位でみれば、パワハラや差別がゼロの職場はどこにも存在せず、働く環境に苦労するのは世界共通の現実です。
日本が優れている(可能性のある)点
日本にも優れている部分はもちろんあります。
たとえば長期雇用慣行があることで、一定の安定感や福利厚生が担保される企業は少なくありません。スキルや経験が海外ほどは厳格に問われないので、年齢さえ若ければポテンシャル採用の道だってあります。
また公共交通機関の正確さやインフラの整備など、生活環境全体で見れば海外より便利に働ける側面もあります。
制度面だけを比較すれば、日本が必ずしも劣っているわけではない分野もあります。
そこを認めつつ、なぜそれでも日本で働きたくないのか。
日本で日本人として働くと降りかかるもの
それでも、私が日本で働くことをためらう最大の理由は、日本人として働くと、理不尽な期待に適応することを強いられ、自分がすり減っていく感覚が強いからです。
先述のとおり、日本社会には「我慢が美徳」「みんなと同じように働くことが正しい」という価値観が根強く存在します。劣悪な環境に声を上げることは「わがまま」「空気を乱す」とされ、異動や転職を望むことさえ裏切りと見なされる。同調圧力の中で、プライベートや健康を犠牲にする働き方が当然視され、逃げ道が限られています。
これらの構造を「日本人なら理解して従うべき」という圧力をかけてくる環境が辛いと感じます。
このプレッシャーは日本で働く外国人には基本的には課せられません。
海外では、たとえ職場が理不尽でも「合わなければ離れる」「別の道を選ぶ」という選択肢が比較的認められやすく、個人の尊厳を取り戻す余地があります。日本ではその自由すら奪われやすく、「日本人らしく」働くことを強要されることがたまらなく嫌なのです。
小括:人間らしく生きたい
海外が天国、日本が地獄という単純な二元論は危険。
安易な二元論は「闇バイト」のような犯罪を誘発し、人生を破滅に導くこともあります。
しかし、日本で日本人として働くことには、制度を超えて価値観や同調圧力という見えない壁が存在し、それが人間らしさを奪う働き方を常態化させています。
この構造が変わらない限り、単なる制度改革だけでは「日本で働きたい」と思える未来は見えない―これが私の率直な実感です。キャリアを積んでから海外就職を目指すことは、これらの事実を全て知ったうえで自分の人生を選び直す過程ともいえるのです。
海外が理想郷ではないと知った今でもなお、私は日本で日本人として働くことには戻れません。
まとめ:日本人だって働きづらい日本
近年、転職市場の活性化やリモートワーク、副業の普及など、表面上の選択肢は確かに増えました。
国も「働き方改革」と称して時間外労働の規制や同一労働同一賃金を進めています。
しかし、それらはあくまで“痛み止め”に過ぎず、根本の文化や価値観はほとんど変わっていません。
依然として「会社のために自分を犠牲にするのが当たり前」「声を上げれば空気を壊す人扱い」という構造が息づいています。
昨今は少子高齢化の流れを受けて、「優秀な外国人が日本で働きたくない理由」や「外国人労働者を日本に引き付けるための方策」がよく話題に上がります。
ですが、仕組みそのものが歪んでいたり、人間の尊厳を損なうような状況が放置されている限り、日本人ですら日本で働きたいと思えなくなるのは当然のことではないでしょうか。
だからこそ、私はまだ日本で働きたいとは思えないのです。
以上です。
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