日本では大企業や行政機関を中心にまだ根強く残るジョブローテーション。筆者も10数年のキャリアの間に4回(5部署)ほど自分の意思とは関係なく部署を移りました。
最初の配属はおろか働き始めてからも部署は選べなかったので、最近言われる「配属ガチャ」を数年おきに回し続けていたような感じです。
改めて振り返ってみると配属されて良かったと思う部署や業務もありますが、それらが当初の希望通りだったかと言うとそうではなかった場合がほとんど(というか全部)。
ニアミスレベルはちょくちょくありましたが、後から分かったのはこれは相当ラッキーな方だったということ。実際は個人の希望はまず叶わずニアミスレベルにすら到達しないことがほとんどです。
第二希望は割と簡単に叶うとしても、第一希望だけはなかなか叶わないなぁ…と思い知らされた日々でした。
この記事では、そんなジョブローテーションを通じて「得たもの」と「失ったもの」の数々を改めて振り返ってみたいと思います。
配属ガチャやジョブローテーションがある会社へのエントリーを考えている方の参考になれば幸いです。
ジョブローテーションで「得たもの」
まずはジョブローテーションを通じて得たものをいくつかご紹介します。数十年に亘ってこの制度が維持されてきたのには、組織側のメリットに加えて、従業員が以下のような恩恵を受けられるという側面も多分にあるかもしれません。
雇用の安定
まずは何と言ってもコレでしょう。
日本型雇用は長期雇用を前提とした制度なので、もし現在のポジションにフィットしなくても異動や転勤によって雇用は守られます。
日本の解雇規制がそこまで厳しくないのに組織が従業員を解雇できないのは、ジョブローテーションという制度があることによって解雇という判断が正当化しづらい状況にあるからですね(解雇された従業員が会社を訴えれば大体勝てるということ)。
ジョブローテーションによって望まない異動や転勤があったとしても、クビになる可能性を常に考慮しなければならない状況に置かれるよりも精神的なストレスはかなり少ないといえるでしょう(このあたりは価値観の問題でもありますが)。
さらに長く勤めるほど少しづつではありますが年収は上がっていきますし、年金や各種制度の面からも得。ある程度の年齢になればある程度の収入や役職に到達することが見えているのは安心感がありますし、長期的な人生設計が立てやすくなるのもメリットです。
筆者の場合も、先輩や上司を見ていれば「大体何年目になるとこれくらいの役職やポジションになる」「勤続何年目ではこれくらいのレベルの暮らしができる」といった感覚を得ることができていたため、ある程度腰を据えて業務に取り組むことができていました。
人生を他人に預けられる安心感
ジョブローテーションがある職場では、配属先や業務内容はほぼ自分で決めることができない代わりに、人事が個人の特性を見て役割を割り振ってくれます。
自分の適性は自分ではなかなか分からないものですし、失敗して気づくことも往々にしてあるので、組織という枠内で色々なことに安全にチャレンジできたり、希望していない異動や転勤で思わぬ適性を発見したりする可能性があるのは純粋に楽しいです。
予想外の配属が素晴らしい経験をもらたしてくれたことも、一度や二度ではありません。その意味では非常にありがたいシステムです。
もちろん配属の決定が個人の素質とは無関係の組織の都合ということも良くありますが、そうであっても自分で決断するという精神的がストレスはありませんし、希望のポジションを取りに行くための限りない自己研鑽もしなくて良いのでかなり気が楽です。
またジョブローテーションがあるということは正社員待遇だと思われるので、企業の福利厚生もしっかり活用することができるはず。家賃補助があったり、交通費が支給されたり、仕事をするための環境をしっかり整えてもらえます。
筆者は福利厚生を活用して英語学習に取り組んだり、ジムに通ったりしていました。
仕事で使う知識や技術についても、手厚い研修制度やフォローアップがあるので、自分で学校に通ったりしなくても業務時間中に学習できる点も大きなメリット!
組織が継続する限りは生活のクオリティーは一定程度に保たれ、自分のキャリアや強みをそこまで強烈に意識したり言語化したり必要がないのは精神の安定につながります。
出張・駐在先での好待遇
ジョブローテーションがある雇用形態では、組織は従業員の意に沿わない業務命令であってもほぼ無限定に下すことが可能。これが雇用の安定や将来の約束とセットになっているのは先に述べたとおりです。
このメリットが最大化されるのが、おそらく経費による出張や海外駐在の場面。個人というよりも組織の看板を背負ったかたちになるため、箔をつけるという意味でも様々な特典を受けることができます。
特に海外駐在になると多額のお金が必要になったり、様々なサポート(健康面、言語面、その他現地生活に必要な要素)が必要になりますが、そのあたりジョブローテーションが導入できるくらい安定している日本の組織は非常にしっかりしています。
もちろん業務内容はかなりハードですが、その分得られるメリットが大きく、安全に海外に長期滞在できる代表的な手段のひとつに数えられることも多いですね。
海外志向の高い人にとっては非常に魅力的ではありますが、本人が希望していなくてもジョブローテーションの一部としてそのようなポジションになってしまう場合もあることを考えると、それだけの充実した待遇を与えて不足を補うのはある意味当然の帰結と言えそうです。
組織人としての感覚
ジョブローテーションを繰り返すうちに、「これこれの分野の専門家」というポジショニングよりも、「どこどこの組織の人」というポジショニングがしっくり来るようになってきます。
例えると、組織の看板と自分が一体化したような感覚。何となく自分が大きくなったような、個人として立つよりも安定しているような気がしてくるから不思議ですね。あとは会社の悪口を言われると自分にも何か言われているような気持になったりもします。
この感覚は組織と役割というドライな関係性からはなかなか生まれないものだと思います。
また色々な業務を経験することで組織を貫くメカニズムのようなものが何となく分かってきますし、職場内に知り合いが増えることで部署間の調整もしやすくなってきます。それに合わせて自然にコミュニケーション能力がその職場に最適化されたかたちで磨かれていきますね。
また組織に対する愛着が芽生えることで、もしその環境から離れても何となく気になったりします。
最近話題のアルムナイ採用はジョブローテーションのある組織で長年経験を積んだ人材と相性が良いかもしれません。
柔軟性とストレス耐性
ジョブローテーションでは数年おきに新しい業務を経験することになるので、どのような業務でも最初から一定程度こなせるような柔軟性が身についてきます。
筆者の場合、異動を繰り返すごとに職場を貫く価値観のようなものが見えてきたのである程度は適応できるようになっていきましたし、海外転勤であっても「こんなもんかー。」とずっしり構えられるようになりました。
もちろん新しい業務で軽いパニック状態になることも結構ありました。
また基本的に「選べない」「断れない」ということが中心にある制度のため、理不尽に耐えることでストレス耐性も(ある程度は)ついてきます。
就活で圧迫面接などを通じてストレス耐性を測る企業があるのは、このような制度に耐えられる基礎力があるかを試しているからなのかもしれません。
ジョブローテーションで「失ったもの」
次はジョブローテーションを通じて失ったものをいくつかご紹介します。光あるところ影ありといった具合に、これまでに述べたポジティブな面をひっくり返す内容であり、個人のキャリア観によってはかなり致命的なデメリットが含まれています。
キャリア自律とその感覚
ジョブローテーションによる配属の決定は基本的に人事部門が組織全体のバランスを考慮して行います。もしそれが個人の特性を考慮して決められた結果としても、結局それは「誰かが決めたこと」になり、本人が決定プロセスに関与しない限りそこに主体性は生まれません。
異動や転勤は個人のキャリア形成において非常に重要なのは言うまでもないことですが、ジョブローテーションを繰り返すごとに自分で決める感覚が薄れていくため、神のお告げを待つような感覚になりがち。配属決定のプロセスや理由はブラックボックス化されていることが多いこともこの傾向に拍車を掛けます。
筆者が働いていた職場では、定期異動が発表される時期はまるで宝くじの当選発表のような雰囲気でした。それぞれ得意や苦手が異なり(おぼろげにも)希望するキャリアがあるはずなのに、です。
ジョブローテーションによる配属は、特に希望がなく可能であれば誰かに決めてもらいたい人や、自分の強みはあくまで第三者的な視点からでないと強く信じている人であれば、このあたりはある程度の納得感を持って受け入れることが可能かもしれませんが、自分でキャリアを築いていきたい人にとっては致命的。
何せ希望するキャリアパスへの道のりが全く見えない状況ですからね。
どのような手順を踏めば目標とする部署や役職にたどり着けるのか(どのようなスキルを身につければ良いのか?誰に交渉すれば良いのか?)があまりに不明瞭です。
しかも環境的に「キャリアは誰かが決めるもの」という発想の人が周囲にたくさんいる状況になるので、「自分のやりたいこと」「自分が人生で叶えたいこと」は分からなくなり、さらに今いる環境の延長線上にあることに思考が制限され、困難が伴うことに挑戦することへの心理的なハードルは非常に高くなっていきます(事なかれ主義に寄っていく)。
行きつく先は「自分のキャリアは自分で作る」という意思の消滅です。
筆者も自分のキャリアが組織と一体化していくに従って自分の意思が消えていくような恐怖を感じていましたし、周囲を見ていても完全に組織に取り込まれてしまっている?と思う人がたくさんいました(完全に主観ですが…)。
市場価値
ジョブローテーションがキャリアに最も影響を及ぼすのが、いわゆる「総合職」に分類される人々ではないでしょうか。
筆者も似たような職種だったので分かりますが、よほど最初から専門性を買われたような状況でない限りは、配属は脈絡のないような状況になりがち。「何でも平均的にこなせる」けれど「強みと呼べるレベルのものが何もない」状態です。
そうなってしまうと、これまでの職歴を振り返って自分がアピールできることがイマイチありませんし、海外のプロフェッショナルと話すときにも共通の話題がイマイチ見つからない状況になります(突っ込んだ話題ができないため)。
ではゼネラリストとして活躍できるか…というと、「専門知識もなく複数の部署を何となく知っている」だけではいわゆるゼネラリストにはならないのが実情ではないでしょうか。
海外では管理職経験者は大抵マネジメント専門の教育を受けているのに対して日本では社内での一定程度の経験が同様のポストで活躍するための要件のようになっていますが、MBAのように社内外で認められる資格とは異なり、スパンや経路の一定でないジョブローテーションや社外では認められない品質のバラバラな職場内教育を受けたことでゼネラリストとしての素養が養われるかはちょっと疑問です。
ジョブローテーションで完成するのは、結局「社内ではある程度活躍できても社外では通用しないキャリア」ということになります。会社にとってはそれで問題ないかもしれませんが、個人にとっては割と大問題だと思います。
競争力・交渉力
市場価値がないということは、賃金面や待遇面で会社や組織と交渉するための自衛手段を持たないということです。「もし給料を上げてくれないと辞めちゃうぞ」というようなプレッシャーが掛けられないからですね。至極当然の話です。
日本に多いパワハラやセクハラがなぜ無くならないか?なぜブラック企業が無くならないか?といった問いの答えがここにあります。
ジョブローテーションでは従業員を簡単に解雇することは難しいかもしれませんが、極端に簡単な仕事を与えたり、追い出し部屋に配属したりして飼い殺すことならできます。
もし個人にスキルや有用なネットワークなどに基づく競争力や交渉力があれば、そのような不当な待遇に置かれても、会社や組織に反撃したり転職したりと、待遇改善に向けた有効な手段を取ることができますが、ジョブローテーションを通じてそのような武器を持つのは至難の業です。
筆者の場合も、職場で辛いことがあってもなかなか辞める・法的手段に訴えるといった選択肢を取ることができませんでした。もしそのようなことをしてしまったら、会社と自分の信頼関係に影響しますし、すぐに転職できるという自信がなかったからです。
今思えばそんなことは従業員側が気にする必要のあることではありませんが、ジョブローテーションを通じて「組織の一員」というマインドセットが完全にインストールされていしまうとそういう発想になってしまう、という良い例ですね。
自分の望むキャリアを叶えるために大学院留学というステップが必要だと思ったのは、キャリアを自分の手に取り戻す準備をするためです。
仕事へのモチベーション
自分で選べない・希望が叶ってもまた異動になるというジョブローテーションに関わる要素は、どうしても仕事に対するモチベーションに影響します。
人間は本能的に「選びたい」と思う生き物。社会に最適化するために選択権を放棄することは社会的には肯定されることであっても、個人としてはモヤモヤが残るもの。
ジョブローテーションを通じて適職を見つけたという体験談は「生存者バイアス」でしかなく、その裏には「やらされ感」を強く覚えながら「他人が選んだ好きでもない・向いていない仕事」をしている場合が多いのは容易に想像できます。
ジョブローテーションを繰り返すたびに「諦念」のようなものに近づいていくような状況で日本型雇用がうまくいっている(うまくいっていた)のは、年齢を経るごとに役職が上がり、仕事自体に対するモチベーション以外の要素で仕事ができるようになっていく(前例に基づいた決定をただ行うだけで良くなる、退職後の生活がインセンティブとして働くようになる、など)構造によるのではないでしょうか。
常に自分のキャリアを考え、変化のある世界や成長機会のある世界に身を置いていたい、と考える人材にとってはかなり厳しい環境です。
スキルアップのための時間とエネルギー
ジョブローテーションがある職場では数年おきに業務内容がリセットされます。場合によっては全く経験のない業務がアサインされることもありえます。
どのような業務であっても、そのたびに新しい仕事を覚えるための時間と労力が多かれ少なかれ発生することになります。職場内教育が用意されていればその教育と向き合う時間が必要になりますし、「見て盗め」系であれば業務時間中に洞察力をフル活用することになります。
業務命令は無制限に可能なので、労働者はこのシステムを拒否することができません。
社内で施されるトレーニング内容がスキルとして社外労働市場でも活用できるものであればキャリアの幅が広がるので良いですが、大抵の場合はその組織の中でしか使えない内容であることがほとんど。
特にその業務内容が自分で選んだものでない場合、自分の望まない業務内容に時間を割くことはかなりのストレスを生みます。
かなりの労力を新しい業務を覚えることに割くことになるため、自分が積極的に学びたいスキルの習得や転職活動のための時間はどうしても減ることになります。
そのような環境で自分の時間を確保するためには、業務量の交渉をしたり、飲み会を断ったり、職場内で孤立しても気にしないようなかなり強いハートが必要になります。
かなり好き勝手にやっていたので、今思うと敵は多かったかも。
配属ガチャの失敗にどう対処していたか
この項目では筆者が定期的なジョブローテーション(特に全く希望していない部署への配属)にどのように向き合っていたかを振り返りたいと思います。
楽しむ工夫をした
まずとにかく目の前の業務をこなすことに集中し、書類の整理方法を工夫したり自分の持ち味を活かせる場面を模索したりと、自分が楽しめる領域を探しました。
デスクの上に怒られない範囲でお気に入りの物を置いたり、お気に入りのコーヒーや紅茶でリフレッシュする時間を設けたりもしていましたね。
異動のタイミングは自分で選べないので、とにかく楽しく時間を過ごすことを考えていました。
また目の前の業務に腐らないためには会社を使い倒すという発想も重要。無料でスキルを得られる場と割り切って、研修を始めとする様々な機会を可能な限り活用して、希望するキャリアにたどり着けるような道筋を作ることに目を向けていました。
希望の部署に行けるようアピール
同時に自分の得意をアピールするということも行っていました。自分の興味のある分野に近い内容の研修に参加したり、組織内で人脈作りを頑張ってみたり、資格を取ってみたりと、色々やっていましたね。
業務内容と関連性がないものばかりだったので、自分の資本(時間・お金)をかなり投下しましたし、ある程度のレベルに達してからは事あるごとに強調していました。
他の人と同じ行動をしないので同じ部署の人から疎まれていたこともありましたが、自分の希望を叶えられるのは自分だけと割り切っていたので、あまり気にしていませんでした(自分で身につけたスキルであれば転職にも使えると考えていたのもあります)。
自己啓発に勤しんだ
先の項目でも触れましたが、業務時間外に自分が行きたい方向にキャリアを進めるための自己啓発(筆者の場合は国際部門に関心があったので英語・フランス語・中国語の学習)を行っていました。
特に検定試験に合格してからは、機会を見つけては積極的に自分にできることをアピールしていましたね。
また休日には勉強会や異業種交流会などに積極的に参加して、希望する分野で働いている人と組織の枠外でコネクションを作ったりもしていました。
所属組織の枠内だけで自己主張をしていると色々と辛いものがあるので、所属できるコミュニティーを複数用意しておくことで良いストレス発散になっただけでなく、リスク分散にもなりました。
まとめ
この記事では、筆者が考えるジョブローテーションを通じて「得たもの」と「失ったもの」を考えてみました。
改めてみるとデメリットも結構多いですね…。もし自分が新卒時代に戻るとしたらおそらくジョブローテーションのある組織は選ばないと思いますし、速攻で転職サイトに登録します。
ちなみに筆者の場合、ある程度の期間日本型雇用の下で働くことで、自分の理想とするキャリア観とジョブローテーションが相いれないことが明確になったこともあり、今のところ大学院留学というかたちでドロップアウトした状態になっています。
やっぱり自分で選んだキャリアを歩きたい!
ただ最近は新卒一括採用と部門別採用を併用している企業も登場しているなど、状況は変わっています。この選択肢は筆者が新卒就活をした2010年代前半には存在しなかったので、羨ましい限りです。
ジョブローテーションのある日本型雇用では望めない部門別採用と、ジョブ型雇用では存在しない新卒一括採用というそれぞれのメリットを享受できるのはおそらく過渡期にある今だけなので、このタイミングで新卒カードを使える方には有効活用していただきたいです。
これから日本型雇用がどう変わっていくかは分かりませんが、組織側の負担も大きいジョブローテーションのある日本型雇用は少しずつ消えていく運命にあるのかもしれません。
以上です。
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