【初任給30万円の衝撃】人生はガチャの連続!人生の不確定要素に向き合うために大切なこと

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生まれた時代、家庭環境、景気の流れ。

人生には、自分の力ではどうにもならない「ガチャ」のような要素がたくさんあります。

筆者自身も新卒就活時リーマンショックに直面しており、(努力不足もあるかもしれませんが)とある試験の合格ラインがその年だけ上がったため、結局希望した道には進めませんでした。

あの頃は圧迫面接も横行していましたね。

努力ではどうにもならない「時代の壁」。それでも、周囲からは「自己責任」と言われる空気。そんな理不尽さに、ただ悔しさを噛みしめるしかない経験を私は今でも鮮明に覚えています。

最近では、空前の売り手市場ということで企業の初任給が30万円を超える時代になりつつありますね。もちろんそれ自体は歓迎すべき変化なのですが、そのニュースに触れるたび心のどこかで「なぜ自分たちの世代は……」と感じてしまう自分もいるのも事実。

筆者が就職した時代から時を経てスマホがすっかり普及し、この不確定な世界を最近では「人生はガチャだ」と表現する人が増えました。親ガチャなんていう身も蓋もない表現も…。そんな現実に、私もまた共感するようになっています。

それでも、私は思うのです。

たとえ選べないことがたくさんあったとしても、「どう生きるか」は、自分で選び取れるのだと。

完璧なタイミングを待つのではなく、今、自分ができる小さな一歩を踏み出すこと。この記事では、不確定な世界を生き抜くために私が感じたこと、考えたことを、少しだけ綴ってみたいと思います。

目次

避けられない「ガチャ」とは何か

生まれる国・親・時代は選べない

人生には、どうしても自分で選べないことがあります。

たとえば、生まれた国や家庭環境。私たちは、どの国に、どんな親のもとに、どの時代に生まれるかを、自分で決めることはできません。

日本に生まれたことは、世界的に見ればかなり恵まれたガチャかもしれません。けれども、同じ日本の中でも、地域や家庭によってスタート地点は大きく違います。経済的な余裕、教育環境、周囲の価値観…そういったものが、無意識のうちに人生の選択肢を広げたり、逆に狭めたりします。

途上国の出身であっても家が裕福だったり、特定の国籍にだけ開かれたポジションや奨学金があったり。世の中は本質的に不平等です。

「もっと違う場所に生まれていたら」と考えたことがある人も、きっと少なくないでしょう。私自身、そう思ったことが何度もあります。シンガポールやジュネーブでは特に強く。

でも、こうした選べない要素を変えることはできません。

だからこそ、まずは「自分ではどうにもならないことがある」という事実を、冷静に受け止めることが大切だと思っています。

就職氷河期に見る「生まれ年ガチャ」の影響

生まれた年代、これもまた避けがたいガチャのひとつです。

特に、日本の「就職氷河期世代」にとってはその影響はとても大きなものでした。どれだけ真面目に勉強しても、どれだけ努力しても、「たまたま就職市場が冷え込んでいた」という理由だけで、希望するキャリアをスタートできなかった人がたくさんいます。

筆者は氷河期世代ではありませんが、リーマンショックの影響を大きく受けた世代なので、自分なりに努力をしてきたつもりでも「時代」というどうしようもない壁に阻まれた感覚は分かります。

そして、こうした状況に置かれても、社会の中では「結局は自己責任だ」と言われてしまうことが少なくありません。努力が足りなかったからだ、選択を間違えたからだ…そんなふうに責められる空気に、さらに追い詰められるような気持ちになることもありました。

本当は、どうにもならない要素も確かに存在するのに。それを見ないふりをして、すべて自己責任に帰してしまう風潮には、今でも強い違和感を覚えます。

さらに最近では、企業の初任給が30万円を超える時代が到来しつつあります。労働環境もかなり改善されてきたと聞きます。もちろん、それは素晴らしい変化だと思います。でも、ふと、理不尽さを感じてしまう自分もいます。

同じ努力をしても、生まれた年代によって、スタート時点で受けられる待遇や機会が大きく違ってしまう。スキルや実力とは関係ない「タイミング」だけで、キャリアの可能性が狭まったり、広がったりする。その現実に、どうしても納得できない気持ちが湧いてしまうのです。

こうした「生まれ年ガチャ」は、個人の努力ではどうにもならないものです。だからこそ、不遇を感じたとしても、必要以上に自分を責めるべきではないと私は思います。そして同時に、世代ごとの不平等を無かったことにしない視点も、これからますます必要になってくると感じています。

日本型雇用システムとキャリアのガチャ化

人事異動は選べないもの?適性無視の配属文化

日本の多くの組織では、人事異動は「選べないもの」として受け入れられています。特に私がかつて働いていた公的機関では、それがごく当たり前の前提でした。

異動のたびに希望を出すことはできます。でも、その希望が通るとは限りません。むしろ、「個人の希望よりも、組織の都合が優先されるもの」という空気が、職場には静かに流れていました。

「どこに行っても頑張るのが社会人だ」という言葉もよく耳にしました。もちろん、それ自体は間違いではないと思います。でも、自分の適性やキャリアを自分で考えるという発想が、そもそも持てない空気が広がっていることにはどうしても違和感を覚えました。

庁内公募に応募した際にも、職場内ではあまりポジティブな反応は得られませんでしたね。

適性を無視した配属。キャリアの選択を他人に委ねることが当たり前になる文化。

それは、本人の努力とは関係なく、「どの部署に配属されるか」というガチャに、キャリアの行方が大きく左右されてしまう仕組みでもありました。

終身雇用などのメリットとセットになった制度だということを理解した今でも、どうしても納得できない部分があります。

新卒一括採用と年功序列:タイミングで決まるキャリア

もうひとつ、日本の雇用文化で特徴的なのが、新卒一括採用と年功序列です。大学卒業と同時に就職活動をして、ほぼ人生を決めるようなシステム。一度レールを外れると、もうやり直しが難しい…そんなプレッシャーが、社会全体に漂っています。

私自身、学生時代に「今決めなきゃ人生が終わる」というような焦りを感じた記憶があります。まだ社会もよく知らない段階で、自分のキャリアを決めなければいけないことに、ものすごく違和感がありました。

就職したら行けないから…と欧米あたりにこぞって卒業旅行に行く人もたくさんいましたね。

さらに、年功序列の文化もキャリア形成に大きな影響を与えます。たとえ実力があっても、年齢や勤続年数で評価される。逆に言えば、どれだけ努力しても、「入ったタイミング」と「年次」というガチャで、その後の昇進スピードが決まってしまう面があるのです。

日本は海外と比べて昇進が異様に遅いことも最近になって知りました。これもなかなかの理不尽ですが、情報がなく自分がそこから出ることもなければ、どうでも良いことですよね。

会社に人生を預けるリスク

こうした日本型雇用システムでは、会社に人生を預けることが前提になりがちです。

長く勤めていれば自然に昇進していくという安心感がある一方で、もし会社の状況が悪くなったり、組織の方針が変わったりしたときに、個人の人生も一緒に大きな影響を受けてしまいます。

組織にすべてを預ける前提でキャリアを築くのは、これからの時代にはますますリスクが高まると感じています。

だからこそ、自分のキャリアを、組織任せ・運任せにせず、自分自身でできるだけ選び取っていく意識が大切だと思うようになりました。留学先で違う年代や国籍の人々と交流することで、この思いはさらに強くなりました。

誰かに言われたことを鵜吞みにしていくと自分の人生の主導権を手放すことになるという事実も同時に学びました。

それでもキャリアを自分で選び取る

「選べないこと」を冷静に受け止める

人生には、どうしても選べないことがあります。生まれた国や家庭、時代、性別…どれも、自分ではコントロールできない要素です。

そうした現実を前にすると、悔しい思いを抱いたり、理不尽さに打ちのめされそうになることもあります。私自身も、何度もそういう場面に直面してきました。

でも最近は、思うようになりました。選べないものを無理に否定しようとするのではなく、「これは自分にはどうにもならない領域なんだ」と冷静に線を引くことが、すごく大事なのだと。

無理に抗おうとすればするほど、エネルギーは消耗してしまいます。だからこそ、選べないものは選べないと認めたうえで、「じゃあ、いま自分にできることは何だろう」と考えるほうが、前に進める気がしています。

自分で選べる範囲を最大化する

選べないことがある一方で、私たちには確かに「選べること」も存在しています。

例えば以下のようなこと。

  • どんなスキルを身につけるか。
  • どんな環境に身を置くか。
  • どんな価値観を大切にするか。

すべてを完璧にコントロールすることはできなくても、小さな選択の積み重ねで、自分の道を少しずつ切り拓いていくことはできると、私は信じています。

留学を決めたときも、まさにそうでした。年齢やキャリアの流れを考えれば不安要素はたくさんありました。でも、いまの環境に違和感を覚えながらただ流されて生きるよりも、自分で選んで動いてみたかったのです。

人生の主導権を握っている実感が欲しかったし、夢もありました。

もちろん、すべてがうまくいくわけではありません。

それでも、自分で選び取った結果なら、たとえうまくいかなくても後悔は少ない。そう思えるようになりました。

失敗を恐れず、小さな行動を積み重ねる

キャリアを自分で築いていくというと、何か大きな決断や劇的な転機を想像しがちです。でも、実際には、もっと小さな行動の積み重ねだと思います。

  • 興味のあることを少し調べてみる。
  • 新しいスキルに挑戦してみる。
  • いつもとは違う人と話してみる。

そんな小さな選択が、少しずつ自分の視野を広げ、可能性を広げていきます。

私は今でも、自分のキャリアに確固たる「正解」があるとは思っていません。むしろ試行錯誤の連続です。

でも、小さな行動を続けることで、少しずつ「自分だけの道」が形になっていく実感があります。

たとえガチャのような不確定な世界でも、少しずつ、自分自身の手で未来をつかんでいく。そんな生き方をこれからも大切にしていきたいと思っています。

まとめ:ガチャを超えて、自分の人生を歩むために

人生には、どうしても選べないことがあります。生まれた国、親、時代、性別。そのどれもが、私たちの努力とは無関係に与えられるものです。

ときには、その不平等さや理不尽さに、悔しさややるせなさを感じることもあるでしょう。私自身も、何度もそんな気持ちに向き合ってきました。でも、だからといって、すべてを「運命だから仕方ない」とあきらめてしまったら、そこから先に進むことはできないのだと思います。

選べないものは確かにある。でも、その中で「どう動くか」「どこに向かうか」は、少しずつでも自分で選び取ることができる。たとえ選択肢が限られていても、自分で選んだという実感は、確かな力になります。

留学を決めたときも、キャリアの方向を考え直したときも、私は完璧な状況に恵まれていたわけではありません。それでも、小さな一歩を踏み出すことで、少しずつ景色が変わり、新しい可能性が見えてきたように思います。

世界は不公平で、不平等で、理不尽なことだらけです。それでも、自分自身の人生をあきらめず手繰り寄せていく。そんな生き方を、私はこれからも続けていきたいと思っています。

そして、この記事を読んでくれたあなたにも、どんな状況にあっても、自分自身の未来を信じて少しずつ歩みを進めていってほしいと心から願っています。

完璧なタイミングなんて、きっと永遠に訪れないのだと思います。だからこそ、今いる場所から、小さな一歩を踏み出してみてください。行動することでしか、世界は変わらないし、自分自身も変わることができると私は信じています。

以上です。

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