「言われたことしかやらない」ことは悪いこと?その正当性を考える

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上司に言われたことしかやらない社員は、しばしば「指示待ち」「受動的」といったレッテルを貼られ、叱責や低評価の対象になります。

それどころか、言われたことを正確にこなしても「それは当たり前のこと」や「それでは不十分だ」と言われてしまうことすらあります。

確かに状況を先読みして柔軟に動ける人材が重宝されるのは事実ですが、だからといって「言われたことしかやらない」のは本当に悪いことなのでしょうか?

この記事では、そのことについて考えてみたいと思います。

目次

仕事に真摯に向き合う姿勢として

失敗を避けるための合理的行動

日本型雇用では、配属が本人の専門性や関心とは無関係に決まるケースが多いのが実情です。

そのような状況では、教育を通じて身につけるスキルよりも、その職場に固有の慣習やローカルルールを早く覚えることが重視されがち。

そのため、新卒やローテーションで異動してきた社員は、業務に必要な知識が不足していることも珍しくありません。

そのような状況では、取り返しのつかない状況を招かないように勝手な行動をしない、という姿勢は自分自身にとっても、周囲にとっても、重要なことでしょう。

学ぶ姿勢の表れ

さらに、転職の場合も同じようなシチュエーションが発生します。その業種は経験者でも組織によってルールが違ったり、担当者ごとに進め方が違ったり…ということがあるからです。

先走って失敗するよりも、まずは言われたことをしっかりこなすことに集中する、という姿勢はある程度必要でしょう(職場の状況によっては難しいこともありますが…)。

そもそも、部下の判断する「最適」と、上司が想定する「最適」は必ずしも一致しません。もし業務の目的やゴールが十分に共有されていなければ、余計な判断を挟むことでかえって手戻りや責任問題を招きかねません。

特に、新しい職場や業務に慣れるまでの戦略として「言われたことしかやらない」ことは、非常に有用な方策になり得ます。

リスクを避けるための選択として

「言われたことしかやらない」という選択には、前述のように合理性があります。
一方で、次のようなリスクを避けるという意味でも非常に重要な戦略にもなり得ます。

過大な責任を負わされるリスク

まずは、自分の権限を越える範囲の責任を負わされるリスクです。

世の中には、「期待以上の成果」を求めながら、実際には十分な権限や環境を与えない上司や組織が少なくありません。

そのような状況で期待を超える成果を求める場合は、他部署を巻き込んだり、関係先と調整したり、ときには同僚の担当領域に踏み込む必要が生じますが、そのためのサポートや下準備を上司がしてくれるとは限りません。むしろ「そこまでやる気があるなら自分でやって」と丸投げされるケースも珍しくありません。

そこで上司が責任を取ってくれれば良いのですが、権限外の判断をして何か問題が起きた場合、責任をとるのはあくまでその判断を下した部下本人ということが起こり得ます。

これが割に合うかは、その結果を引き受けることになる部下側に判断が委ねられていると考えるのが普通ではないでしょうか。

ダブルバインドに陥るリスク

マイクロマネジメント型の上司の場合、状況は更に厄介。

「主体性を発揮しろ」と言ったかと思えば「勝手なことをするな」と叱責される…という両極端の状況に陥る可能性が非常に高いからです。

この矛盾に直面すれば、部下が自発的に動くのを避けるのはむしろ当然。
何をしても結局は叱責されるわけですからね。

成果と責任が釣り合わないリスク

組織によっては、業務改善の提案などを求められることもあるでしょう。

しかしながら、業務改善は通常業務に加えて新しい作業を生み出すものです。職場がバックアップしてくれるとは限らず、最終的には「提案したあなたがやって」と押し付けられてしまうことも多々あります。

結果として残業や休日返上で孤独に奮闘するはめになり、その努力が報われる保証もありません。
「こんなことなら言わなければよかった」と後悔し、次からはアイデアを胸に秘めるようになる人も多いでしょう。

そのうえでさらに厄介なのは、成果が出ても組織としては「当たり前」と片づけられる点。

金銭的な報酬や待遇改善はなく、むしろ「優秀だから」と仕事が増えるケースすらあります。
日本的な「仕事の報酬は仕事」という典型的な現象です。

一方で、少しでもミスをすれば叱責され、評価が下がるリスクは高い。
成功しても見返りがなく、失敗すれば大きなダメージ―このアンバランスな状況では、余計なことをせず指示された範囲だけをこなす方が合理的という結論に至るのは自然なことです。

「言われたことしかやらない」のは誠実で賢い選択

このように、「言われたことしかやらない」ことは非常に誠実な態度であり、不用意にリスクを負わないという賢い選択という側面もあるのです。

それでも現実には「言われたことしかやらない」ことが過度に受動的な態度であったりやる気のなさの表れと見なされ、「もっと主体性を持て」「先を読んで動け」と求められることが多いのもまた事実。

要求水準は満たしているはずだし、サボっているわけでもない。

それなのに、
「もう少しこうしてくれたら良いのに…」
「もう少し気を遣ってくれても良いのに…」
なんて言われてしまうことは往々にしてあります。

なぜ「それ以上」を求める風潮が強くなるのでしょうか。

「言われたこと」以上が期待される理由

自発的に行動する人材は組織にとって非常に重要な存在。組織としては業務命令を出すコストを削減することが可能ですし、結果で組織に貢献してくれるので明らかですね。

プラスアルファの働きに必ずしも対価を支払う必要がないから

「言われたこと」は明確に業務命令に含まれる内容であり、当然に賃金が発生します。

ですが、「言われたこと以上のこと」についての範囲や評価基準は、あくまで上司などの命令者の頭の中にあるだけ。
そこに客観的な根拠や明確な線引きがあるとは限りません。

そのため、もし部下が「言われたこと以上のこと」をして利益をもたらした場合、給料を多めに支払ったり待遇を改善したり…という成果に報いるような行動をとるかは上司の匙加減次第ということになります。

業務量に明確な上限が定められることの少ない職場では、成果を口実に新たな仕事を積み増すことが許されるという側面も…。

結果として、「言われたこと以上のこと」をこなす構成員のいる組織は、その分のコストを支払わずに恩恵を受けることできる、という結果に。

これが普通の状態と捉えた場合、「言われたことしかやらない」ことは損失を生んでいるという発想に繋がるという見方もでき、組織にとっては好ましくありません。

プラスアルファの失敗には組織は必ずしも責任を負う必要がないから

一方で、もし「言われたこと以上のこと」をして損害を発生させても、上司や組織が完全に責任を負うか…というと、それも分かりません。必ずしも業務命令に基づく判断だとは見なされないからですね。

もちろん状況にもよりますが、もし業務命令に含まれない独断専行という判断を上司や組織が下せば、その責任はどうしても個人に属するということになります。その判断に異を唱えられる人はかなり少ないでしょう。

そして、責任が個人に属するということは、対外的にもその判断を組織の意思決定ではないと整理できる…ということでもあります。

このように、「言われたこと以上のこと」の失敗については、その責任が個人に帰属しやすく、組織が必ずしもその結果を引き受けるとは限らないのです。

「言われたことしかしない」は組織にとって都合が悪い

このように、「言われたこと以上のこと」をする人が存在することは、組織にとって非常に大きなメリットがあります。

そのため、組織としてはこのような人が居ることは非常にありがたいことであり、意識的であれ無意識的であれ、構成員には「こうなってもらいたい」という期待を抱いてしまうことになります。

そして、真面目な人ほどそれに応えようと頑張ってしまう…という構図もそこかしこで見られます。

そこがベースラインになり常態化した結果、「期待を超える=社会的に当たり前の行動」という構図が固定化されることに。

「言われたことしかやらない」人は、逆に言えば「言われたことはきちんとこなす人」です。
役割期待は満たしているため、本来決定的なマイナスにはならないはず。

ですが、「組織の期待を超えて当たり前」という価値観が浸透した職場では、「言われたことしかやらない」という働き方は、相対的に「組織にとって都合が悪いもの」として扱われてしまう、という構図がありそうです。

「言われたこと以上のこと」を求められたら?

では、実際に「言われたこと以上のこと」を求められたらどうすれば良いのでしょうか?
どのような状況であっても頑張らないといけないのでしょうか…?

結論から言うと、筆者はそうは思いません。
前述の通り、「言われたことしかやらない」というのは合理的な選択の帰結という側面もあるからです。

ですが、状況によって取るべき対応が違うという側面はあると思います。

これまでの文章で一貫しているのは、職場のスタンスです。つまり、「言われたこと以上のこと」をした結果、きちんと評価されるか、一方的に責任を押し付けられたり不利な状況に置かれたりしないか…つまり、「心理的安全性」が担保されているか、が鍵になります。

ここではその「心理的安全性」の程度に応じて、取るべき対応を3パターン考えてみました。

心理的安全性がある場合

ゴールが明確で失敗しても責任を一人で負わされない環境であれば、これはチャンスです。

個人の求めるものや忙しさに応じて「言われたこと以上のこと」をするかどうか判断しても良いでしょう。

もし、挑戦するのであれば、上司やチームと期待値をすり合わせたうえで、少しずつプラスアルファを試すことで成功体験を積み、キャリアの幅を広げることができるかもしれません。

一方で、そこまで望まないのであれば、「言われたことしかやらない」という働き方を選ぶのももちろん一つの選択肢です。

心理的安全性が担保された職場であれば、上司やチームと期待値をすり合わせておくことで、一方的に不利益を被る可能性は低いでしょう。

心理的安全性が少ない場合

一方で、ゴールや責任範囲があいまいで、成功しても評価が不十分、失敗すれば責任を押しつけられるような環境は要注意。

この場合、無理に「言われたこと以上のこと」をやろうとすると、心理的安全性がさらに損なわれるリスクが高まりますし、頑張り続けることで長期的にメンタルやキャリアそのものに悪影響を及ぼす可能性もあります。

まずは「言われたこと」の範囲をきちんと確認し、結果に対する責任の所在や期待値を確認するという手もありますが、そこでも曖昧な回答しか返ってこないようなら危険信号。

そのうえで、求められるものの範囲があいまいだったり、自分の手に余る場合や、周囲の期待と自分の意思のギャップが大きい場合は、中長期的にそこに留まるデメリットも考慮すべきだと思います。

内容によっては、思い切ってそこから離れることも選択肢に入れても良いかもしれません。
無理に「言われたこと以上のこと」を求められる環境に自分を合わせ続ける必要はありませんからね…。

心理的安全性が全くない場合

失敗すればすべて個人の責任にされ、成功しても報われない。
それどころか「優秀だから」と負担が増えるばかりで、待遇は変わらない…。

そんな環境は危険ゾーンです。

こうした環境に長く身を置いていると、「自分の努力が足りないのではないか」「もっと頑張れば認めてもらえるのではないか」と考えてしまう人も少なくありません。

ですが、心理的安全性が全くない環境では、頑張る方向を変えることよりも、環境そのものを変えることを考えるべき場合もあります。

まとめ

「言われたことしかやらない」ことは、何かと批判されがちな現代社会。
とはいえ、常に「言われたこと以上のこと」をすべきかと言うと、必ずしもそうとは言えません。

やる気の問題だけでなく、そのときの状況であったり、「言われたこと以上のこと」に含まれる期待そのものが適切か?という観点も含めて考える必要があるでしょう。

そもそも、様々な制約から、最初から「言われたこと」以外に手を付けるという選択肢がない場合もあります。

個々人の置かれた条件によっては「言われたことしかやらない」ことが最適解になる以上、その判断自体を十把一絡げにして批判することは、必ずしも正しいとは言えないと思います。

以上です。

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