買い物の金言「悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめておけ」の解釈について【留学にも当てはまる?】

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買い物をする際の判断基準として有用な金言としてたまに聞くことがある「悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめておけ」というフレーズ。どこの誰が言い出したのかはハッキリしないようですが、値段よりもそのものの価値にフォーカスするという意味で個人的にはかなり好き。

このコンセプトは買うべきか・買わないべきか悩むようなシチュエーションに判断材料を与えてくれるのはもちろん、買い物という行為から垣間見える自分の根本的な価値観が明確になるという点でも非常に役立つので、この考えに従って取捨選択を繰り返していくことで、物欲を抑える以上の効果があるかもしれません。

モノの価値やモノを所有することの意義が見直されている現代社会において、この概念は特に求められているかもしれませんね。

筆者の場合も、過去の買い物を振り返ると当てはまる点がたくさんあります。

そして、この概念はモノだけでなく経験を買う場面にも適用でき、旅行はもちろん留学にも当てはめることができます。

目次

悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめておけ、の意味

筆者の解釈と体験談

このフレーズは以下のように前後に分けて解釈できます。

  • 迷う理由が値段であれば、買った方が良い。→商品そのものに価値や魅力を感じているので、買っても後悔することが少ない(自分の価値観に合っている)。
  • 買う理由が値段であれば、買わない方が良い。→商品ではなく値段に魅力を感じているので、買っても使いこなせなかったり後悔する可能性がある(自分の価値観に合っていない)。

思えば、これまでの買い物に当てはまる点がたくさん。

例えばiPhone用のアクセサリー関連。アップルの純正品はかなり良いお値段がするので、ちょっと妥協して純正品ではないイヤホンや充電器を使ったことがあります。ただ使い心地が良くなかったりすぐに壊れてしまったりして、結局純正品を買い直すハメになったこともあります。

一時期ブランド品の福袋にもハマっていましたね。アウトレットモールなどで数量限定で販売されるというプレミアム缶&有名ブランドの服が格安で手に入るということで凄くお得な気がしていましたが、一番楽しいのは福袋を開ける一瞬だけ。

中に入っていたアイテムについては、そもそも趣味に合わないため速攻で箪笥の肥やしになったり、ある程度は使っても、結局全く使わなくなるような物が色々ありましたね。

こうやって考えると、失敗した買い物については物の価値以外の要素に釣られていたことが多いことが分かります。スマホ用アクセサリーは単純に「値段」、ブランド福袋については「値段」と「希少性」あたりが関係していそうです。

とはいえ衝動買いをせよという意味では決してない

前段については買おうか迷っている物の種類や個々人の財力に左右されるされる面があるので一概に言えない気もしますが、人によっては「欲しいと思ったらすぐに買え(=「衝動買い」の正当化)」という意味に捉えそう。

ただ一方でこの格言から衝動買いの正当化を導く人は、単純に価値観が定まっていないという理由であったり、お金の使い方に慣れていない(投資・消費・浪費という費用対効果の違いに無頓着)であるという別の理由が隠れている可能性が高いです。

衝動買いによる後悔が生じるのは根本の価値観とはズレた感覚で買い物をしたときですし、長期的な金銭的不利益につながったりするのは、その買い物がもたらす価値を誤認している(投資だと思って消費や浪費をしている)からですし。

その意味では、この格言は自分の価値観やお金の使い方の基準をある程度わきまえている人向けと言えるかもしれません。

一度逃すと取り返せないチャンスもある

「迷う理由が値段ならなるべく買った方が良い」というのは、「価値観が合っているから後悔しづらい」こと以外に「もしかしたらその商品やサービスを購入できるタイミングがもう巡ってこないかもしれない」という示唆も含んでいます。

いわゆる「旬のお金」という概念ですね。

例えば筆者の場合、大学学部時代にサークル活動で海外プログラムで東南アジアに行く機会があったのですが、旅費が捻出できずに諦めた記憶があります。そのときしかできないお金の使い方やその後の人生に与える影響を認識していれば、アルバイトや親の説得などあらゆる手段を使って旅費を工面したでしょう。

また留学についても、大学学部時代に何となく興味を持っていましたがまともに行動していませんでした。あのとき必要な費用や条件について真剣に向き合っていたら、30代後半まで待たずに海外生活をスタートすることができていたかもしれませんね。

一方で、幼い頃に英会話スクールに通わせてくれた両親には非常に感謝しています。外国語に対する抵抗は無くなりましたし、発音の良さも海外で褒められるレベルです。これはおそらく、舌が完成する前の段階で英語の発音を学習する機会が得られたことによるメリットだと思います。

これらの例は若干極端ではありますが、タイミングを逃すと同じ値段を支払ったとしても同じ効果が得られないことが往々にしてあることを示しています。

お金は価値と交換してこそ意味を持つ

また今になってようやく思い至ったことですが、お金の価値は「お金そのもの」ではなく、「どのような価値と交換するか」に尽きると思います(遅い?)。

お金は使えばまた稼ぐことができますが、時間を取り戻すことはできません。どれだけお金があっても、失ったチャンスを取り戻すことは不可能です。

そうやって考えると、自分の価値観に従って後悔しないようにお金というリソースを投下することの重要性が見えてきます。

「お金をただただ貯めるという行為」は「そこから引き出せる価値を逃している」ということと、コインの両面にあるという事実。

今重要なのは、この留学生活から得られる限り多くのものを得ること、そして親孝行だったりします。

買う理由が値段なら…の二重の意味

さて後段の「買う理由が値段であれば、買わない方が良い。」という部分ですが、個人的には以下の2パターンに分けられると思っています。

  • 「得られる価値よりも安いからお得」という「安物買いの銭失い」パターン
  • 「高価なものを買うこと」それ自体が目的と化す「承認欲求の暴走」パターン

「安物買いの銭失い」は値段の安さに着目して買い物をするため価値の面で妥協していることが多く、結果として後悔する。「価値観」を無視しているので、その意味でも納得がいかなくなることが多そう。

「承認欲求の暴走」は値段の高さに着目して買い物をするため際限がありません。高級な物を身につけて自己肯定感を上げたい、購買力を見せつけたいなど、「高級さ」に着目する理由は様々だと思いますが、一番重要な「価値観」の部分を他人に依存しているため、どれだけ所有物を増やしても本当の意味での充足感が得られないという無間地獄状態。

高かったけれど買って良かったモノ・サービスもある

社会人になってから買い物について色々と経験してきて、現在では「要らない物はタダでも要らない」というスタンスに落ち着きましたし、他人の消費パターンに影響されることもすっかり少なくなりました。

最近の例は旅行。交換留学中はアジア人を中心にヨーロッパを旅行しまくる同級生が多かったですが、筆者は自分が頻繁に移動するよりもじっくりと一か所を楽しむ派であることが分かっているので、そこまで頻繁には旅行しませんでした。

留学先にヨーロッパを選んだのも、腰を据えて滞在しないと分からないことが多いことをシンガポールで学んだから。

自分がもっと若かったら、影響されて旅行しまくっていたかもしれません。

その代わりにイスタンブールやマスカット(オマーン)に長期滞在し、現地の文化や宗教的な違いについて探求したりしていました。まさに価値観。

特にアラビア語留学にはそれなりに費用を使いましたが、貴重な体験や現在まで繋がる人間関係の構築に繋がっているので全く後悔はしていません。

また自分が好きな分野にも費用を投下しています。

例えば芸術分野では、ルーヴル美術館やオルセー美術館の年間パスを購入し、予約手続きをせずに行きたいときにじっくりと芸術を堪能できる環境を整備しました。

パリ在住ではないので恩恵が受けられる機会は多少限られますが、チケットの予約手続きや入場列に並ぶ時間といった手間が大幅に短縮できるので、買って良かったと思っています。

個人的にはお得な部類だと思うのですが、人によっては「そんなことにそんなにお金を使うなんて!」と思うかもしれませんね。

あとは質の高い靴やデザインが気に入って購入した鞄は気づけば3年以上使っています。購入してから時間の経った今でもときめきますね。これは安いからと言って買った服を数回で着なくなるのと対照的。

また福袋の中身だったのに5年選手入りした服もあるので、めぐり合わせも否定はできません。世の中分からないものです。

もしかしたら留学にも当てはまるのかも?

さて前置きが非常に長くなりました。

この記事を執筆するに至った理由が、「悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめておけ」という格言が、留学にも当てはまる部分が多いな、というものでした。

筆者は特に「かなり遅い」留学だったため、この点を身に染みて感じています。

留学も買い物の一種である

留学には当然ながらかなりの費用がかかります。これは語学留学だろうが正規留学だろうが同じで、教育というサービスや滞在経験といった価値を購入していることを意味します。

最近は状況が変わっており、格安を謳う留学エージェントも増えましたね。

確かに格安で留学できればコスパという意味では良いのかもしれません。「安い=悪い」とは限りませんし、資金が少ない状況で取りうる選択肢としてコスパを重視することは何も間違っていません。安価にスキルが伸ばせるのであれば言うことなしです。

ただ値段が先行してしまうのは何だか違う気がします…。理由は後述。

留学は投資になるか

値段が先行する留学は、いわゆる「語学留学」を斡旋するエージェントが多い印象。

あとは学位取得留学でエリアを選ぶ際にも「アメリカ&イギリス(基本的に高額)か大陸ヨーロッパ(比較的安い)か」のような議論で金額が問題になりますし、ビジネススクールのような高額な教育機関への留学の場合でも金額は重要なファクターになります。

ただ前者と後者で圧倒的に異なるのが、前者が「値段」にフォーカスしているのに対し、後者が「学びたい分野」を選択したうえで「値段」を見ている点。

留学が良い買い物になるかどうかは「価値観に合っているか」に左右されるという点は先に述べましたが、後者はともかくとして前者の例はちょっと危険な香りがします。

実際少しインターネットを検索しただけでも、語学留学で後悔している人が大学(院)に留学した人と比較すると圧倒的に多そう…。

教育目的の場合、お金は後から付いてくる(かもしれない)

「学びたい分野」を前提に留学する場合、(分野にもよりますが)給付型の奨学金や用意されていたり、学費が免除になる制度があったりと、学校レベル、社会レベル、国レベルで学びを後押ししてくれる制度が色々とあります。

この傾向は実学系の修士課程・博士課程に顕著。

開発学であったりジェンダー学であったり対象になる分野は様々ですが、それらの分野におけるハイレベル(修士課程以上)な学問研究は今後社会に還元できる可能性が大いにあるからだったり、学校の名声を高めてくれたりと色々な効果が期待できるからですね。

奨学金を受けたことはプラスに働くので、支援を受けてこれらの学問を修めることができれば卒業後のキャリアも期待できそうです(まあ分野にもよるので一概には言えませんが…)。

専門性を評価しない&労働市場が硬直的な日本だとちょっと厳しいかもしれませんが、海外への道は開けるかも。

一方で、語学留学にはそういった支援がありません。

理由は明確で、語学留学自体の結果が社会に還元する可能性がほぼゼロだからです(語学留学を足掛かりにして事業や学問に挑戦する場合があるとしても)。

もちろん語学留学にもメリットはあり、例えば語学力が向上したことで社内での昇進が可能になるようなケースもあるかもしれませんが、そのような場合は大抵社内向けの支援制度があったり、自腹で行ってもしっかり報われるパターンだったりとちょっと特殊。

語学留学自体から金銭的な価値を引き出せるかというと微妙なので、投資効果という意味ではどうしても消費・浪費パターンに入りますね。

ただし語学留学が後悔につながるのはコスパの良い投資手段と捉えて行くからなので、「価値観」をベースに最初から消費・浪費と割り切って行くのなら後悔する可能性は低くなるので、むしろ大いにアリだと思います。

まとめ

この記事では、モノやサービスの購入に際し買うか買わないかの判断基準を与えてくれる金言「悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段ならやめておけ」について、筆者の解釈と購入対象としての「留学」への適用性を考えてみました。

この記事の結論としては、留学にもこの論理は当てはまるが、留学の種類によっても異なるというところに落ち着きました。

ただし詳細に検討しようとすれば、留学時の年齢、留学する分野やプログラム、就職したい国の雇用制度、そのときの世界情勢など、考えなければいけないことが山ほどあるので、この記事の内容はあくまで一個人として考えたことのレベルで受け止めていただけると嬉しいです。

以上です。

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